数奇にして模型 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社 (2001年7月13日発売)
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感想 : 456
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2023 読書メモ
▼冒頭からネタバレ。
夏のレプリカ、今はもうない、の前2作同様に、最初に犯人っぽい対象が明確に提示される。
で、その認識をどう覆すのか?それともやっぱりそうなのか?を悩みながら読み進めていくことになる。
『次おれグー出すからな!』というジャンケンのアレである。
あまりSMの会話劇が多くはない回。しかし他の登場人物の魅力がでてくる。

▼物語の大筋
一晩に別々の場所で起きた密室殺人事件。そして圧倒的な容疑者が1人。条件的にはそいつしかいないが、明らかな犯行に及ぶか?というバイアスがかかる。

物事を説明するための理屈は、結論ありきで作られる。というあまりビジネス的には大きな声で言えないが、みんな理解しているこの世の摂理みたいなことを改めて考える内容。
仮説思考、と、結論ありきの議論。の違いは、再検討が行われるかどうか。
確証バイアスのかかりまくった仮説思考は、結局結論ありきの会議と一緒になってしまうよね、というのがこの本での感想。

一番単純と思われがちな子ども、幼い時代こそもっとも複雑で、教育や成長によって型にハマり、単純化されてしまう、シンプルになる。
だからラベル貼りすぎるのよくないな、と思った。


▼以下メモ

理解できないということは、なぜそのままにできないのか。不安だから。せめて身近なことくらいは理解したい。というMの表現。
→これこそわかったつもりの人々に認識してほしい。
コテンラジオで沢山でてくる無知の知の必要な要素。
わかった。知っている。自分が正しい。そう直結してしまうのは、自身が不安定だからに他ならない。わからないことをわからないまま放置できない、なぜ?プライド?

分類して、記号化、単純化することも同じ。思考するに楽な方に変換して、理解したつもりになって安定をもとめている。

国枝先生の、感情も思考も分類されて平均的なイメージに名称がつけられる。というやつ。
大多数の分類に漏れたものに例外、としてレッテルを貼ることでしかコントロールした気になれない。
笑う泣く怒るというパターンは、成長する過程で教え込まれる。本来の感情の複雑さは、成長過程でコントロールされて単純化される。

道徳が単純化の最たるものだ、知識のない子供や頭の悪い大人にルールを教えるための記号。まるばつ付けといたほうがバカでも教育者になれる。という国枝先生。
→ここまで沢山セリフがあった回があるだろうか笑

女の子の遊びそのものが、社会から与えられたもので、限られた狭い将来像を見せる模型。おままごとも、人形遊びも。
単純化されて、統一された思考に身を任せたい。
→まさにこの通りである。
自由な不自由というか、選ぶ余地がないほうが楽。ナッジもそんな感じ。

Sの理屈の機能は2つ。行為自体が選択や決断をする上で正当化するため。先に決定があり、後から理屈が構築されるもの。ふたつ目は他の理屈を撃退する機能。

ひとまとめに単純化された概念だけが、それを異常と呼ぶ。複雑さへの尻込み。、根拠のない幻覚。
世の中にコモンセンスと呼ばれる幻覚はどれだけあるのだろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 森 博嗣
感想投稿日 : 2023年2月20日
読了日 : 2023年2月12日
本棚登録日 : 2013年2月21日

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