彼(松本)と佐伯、2人の視点から成り立つストーリー。
読み進めるごとに犯人は一体誰なのかがジワジワと分かりつつ、でも分からない。2人の視点が同時期に進んでいるかのように感じさせる叙述トリックであった。
人は窮地に陥ると拠り所にすがり、狂っていく。その変化が客観的に見ればイカれていると思うが、同情せざるを得ないような作品であった。
警視庁一課長•佐伯は幼女連続誘拐殺人事件を担当しその過程で娘を亡くし、辞職後、人生に失望していた。そして旧姓松本となり、その心の穴を埋めるために、宗教にのめり込んだ。そこで目にしたものは死者を生き返らせる「黒魔術」であった。彼は娘を生き返らせるがために自ら幼女誘拐を行ってしまう。
タイトルの「慟哭」とは悲しみのあまり、声をあげて泣くこと。彼は果たして声をあげて泣いたのか。そのようなシーンは見受けられない。
例えば、佐伯が娘の死体を見つけたシーンでは「顔の筋肉ひとつ動かさなかった。」、松本の冒頭のシーンでは「どうにかしてかれ。彼は小さく呟いた。」とある。
一方で佐伯が娘を亡くしてから、旧姓松本に至るまでの過程が本文に書いていない。
私はタイトルにある「慟哭」はその本文で書いていない過程の中で起きたと解釈した。
その「慟哭」を読者に想像させるのがこの作品ではないだろうか。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
未設定
- 感想投稿日 : 2020年6月15日
- 読了日 : 2020年6月15日
- 本棚登録日 : 2020年6月15日
みんなの感想をみる