純真無垢なはずだった美青年ドリアンと、生真面目だか仄暗い自意識を抱える画家ホールワード、詭弁を弄する快楽主義者ヘンリー卿が互いに与えあう影響力の循環と矛盾の描写が興味深かった作品。
そして、悪行と年齢を重ねてもなお外見的には少年のように若く美しいドリアンとは対照的に、ホールワードが「自分を注ぎ込みすぎ」て描いたドリアンの肖像画が代わりに彼の行為と内面を投影して醜く老いさらばえていくというファンタジー的な要素。
他者にはドリアンの内面が見られないのに、肖像画の所有者であるドリアンだけが自身の醜さを突きつけられることで、「(だれよりそれに固執し)美と若さを体現しているようで実は誰より醜い」という自身の秘密を常に胸の片隅に住まわせ、一層狂気に駆り立てられ最後の悲劇に至るという設定も破滅的な嗜虐性に満ちていてワイルド的です。
そして、この小説にはストーリーで重要かどうかに関わらずワイルドの美意識がぎゅうぎゅうと詰め込まれています。(それを罪とみなしていた時代に書かれた作品なので)直接的な描写はなくても3人が実は同性愛的な位置づけにあるのはなんとなく想像がつくという点でも。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
古典
- 感想投稿日 : 2015年2月7日
- 読了日 : 2015年2月6日
- 本棚登録日 : 2015年2月6日
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