あなたに、大切な香りの記憶はありますか? (文春文庫 編 20-3)

  • 文藝春秋 (2011年10月7日発売)
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本棚登録 : 395
感想 : 38
4

「記憶の中の忘れがたい香り」をテーマにしたアンソロジー。

香りをきっかけに記憶が甦ってくることがあると思う。
そんな「記憶」と「香り」にまつわる物語からは懐かしさが醸し出されており、自分の思い出も浮かび上がってくるようだった。

その中でも特に好みだった小説の感想を、いくつか書き留めておこうと思う。

父とガムと彼女/角田光代
父親が亡くなり、通夜をしていた主人公は一人の女性・初子さんに再会する。
小学生の頃、学校にお迎えに来てくれた初子さんと寄り道をしたこと、甘ったるいガムを噛みながら帰ったこと……。
主人公の中で様々な記憶が甦ってくる。
彼女と過ごした記憶は、主人公にとって「そこだけ手触りが違う」ようなものだった。
記憶を一つずつ解いて、その触り心地を確かめていくような物語だった。
ラストで主人公が見た光景とそれによって結びついた結論は、本当のことはどうか分からないが、腑に落ちたような感じがした。

ロックとブルースに還る夜/熊谷達也
出版社で編集の仕事をしている主人公は、担当作家との打ち合わせのため、三十年ぶりに仙台・国分町にやって来ていた。
打ち合わせをした夜、主人公は予備校時代に通っていたロック喫茶を見つける。
変わっていない店内と、少し老いたマスター。
ロック喫茶独特の雰囲気と主人公の思い出が混ざり合って、まるでタイムスリップしたような心地になった。
ラストシーンはまるで夢から覚めたような少し寂しい気持ちがあったが、「もしかして」と人の繋がりを予感させられる終わり方でとても良かった。

スワン・レイク/小池真理子
叔母のもとを訪ねた主人公は、十年ぶりにスワン・レイクへと向かった。
そこは、たまたま見つけたビデオテープに録画されていた、夫との思い出の場所だった。
雪が降りしきる寒い日、白鳥に会うためにたった一人で向かう主人公を見て、胸が締め付けられた。
物語の中には「雪の香り」という表現が出てくる。
私はこれまで「雪の香り」を感じ取ったことがあるだろうかと考え、その経験がないことに気付いた。
素敵な表現だと思った。

コーヒーもう一杯/重松清
彼女と一緒に暮らしていた頃に買った、手回しのコーヒーミル。
二人きりのアパートでミルで挽いたコーヒーを飲んだことを、主人公は語っていく。
主人公にとってこれまでに何か経験や思い出があったわけではないのに、アパートの部屋で彼女と飲むコーヒーはむしょうに懐かしく感じていた。
そんな彼に彼女が言った「コーヒーのことが、いま懐かしいわけじゃないの。これから懐かしくなるのよ。あなたはいま、未来の懐かしさを予感してるの。だから、なにも思いだせないのに懐かしいの」という言葉がとても好きだった。
この感覚は、分かると思った。
「ちょっと考えればわかること」も分からないほど、当時の彼は子どもだった。
そんな少し苦い記憶を、コーヒーとともに大切に思い出すような物語だった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説
感想投稿日 : 2021年2月28日
読了日 : 2021年2月28日
本棚登録日 : 2021年2月28日

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