歴史家の網野善彦について、義理の甥にあたる宗教学者の中沢新一が、思い出とともにその研究の根底にある問題意識を明らかにしている本です。
網野は、著者の父であり後に『つぶて』(法政大学出版局)を著すことになる中沢厚との会話のなかで、権力者に「つぶて」を飛ばす「民衆」の存在の重要性に気づいたと、著者は証言しています。「民衆」は、国家が成立する以前の「自然」を体現する、かぎりなく神に近い存在であり、土地や社会関係などが生み出す「縁」から離れた人びとだとされていました。
従来の歴史学では、近代的な権力と、それと同じ地平で対峙する民衆との闘争という図式にもとづく理解がなされていました。しかしそうした民衆の理解は、近代の人間観の「底」を突き抜けていないと著者は批判します。そして、網野のたどりついた新しい「民衆」の概念は、そうした近代人よりも深いところに根ざしている「大地的概念」だったと述べられます。このような地平に降り立ったところに、網野史学の意義があると著者は考えています。
また、網野の『異形の王権』と、それを追いかけるかたちで書かれた著者の『悪党的思考』の「コラボレーション」についても触れられており、大胆すぎる思考の冒険と見られがちな中沢の思想の背景に、民俗学・歴史学的な資料がどのように利用されていたのかをうかがうことができます。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
歴史・地域・文化
- 感想投稿日 : 2019年4月25日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2019年4月25日
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