本書は大きく二つの部に分けられており、第一部では近世から近代にかけての世界の産業構造について比較的詳細な検討をおこない、日本の鎖国と近代化がどのような条件のもとで生じたのかということを明らかにしています。
第二部は、こうした著者の文明史的な視座が、今西錦司らを中心とする新京都学派的な文明論の立場にもとづいていることを明らかにするとともに、近代的な経済および産業のありかただけを視野に入れて組み立てられたマルクスやウェーバーの世界史観、さらにわが国の大塚史学などの立場を批判しています。
とくに第一部の議論が興味深く感じました。著者は、西洋社会と近世日本社会は「文化・物産複合」を異にしていると考えており、西洋の近代資本主義システムの枠組みにもとづいて西洋圏と非西洋圏の関係を理解することはできないと主張します。そのうえで、とくに木綿という世界商品の生産と流通に着目することで、西洋の「近代世界システム」と日本の「鎖国」を、新しく生まれた世界的な経済空間における二つの異なる対処のしかたとしてとらえるとともに、開国後の日本が非西洋圏においていち早く近代化に成功した理由を明らかにしようとしています。
これに対して第二部では、比較的実証的な水準で議論が展開されている第一部とは打って変わり、個人的には大風呂敷を広げすぎのようにも感じられる議論が展開されています。著者は、今西錦司の提唱する「自然学」や梅棹忠夫の生態学的文明論をマルクス経済学の対象となっている社会構造の根底に位置づけたり、中尾佐助が提唱し佐々木高明や上山春平らによって展開された照葉樹林文化論に議論を接合したりと、新京都学派の遺産を継承する立場を明確に打ち出しています。
- 感想投稿日 : 2018年7月29日
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- 本棚登録日 : 2018年7月29日
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