森茉莉の著作のなかから、料理にかんする文章をえらんで収録した本です。
わたくし自身は残念な舌の持ち主で、どんなものでもたいていは美味しいといって食べてしまう質なのですが、料理について書かれた文章を読むのが好きで、辻静雄や有元葉子といった料理研究家の本をしばしば手にとります。
「マリアは貧乏な、ブリア・サヴァランである」という文ではじまるエッセイ「貧乏サヴァラン」は、戦後に「贅沢貧乏」をやってみたことで「贅沢貧乏」が好きになったといいます。そんな著者が「お菜を拵らえるのが道楽のようなものである」と述べることからはじまる「私の道楽」というエッセイは、わずか1ページに収まる文章ですが、文章を読むことの「贅沢」をあじわえます。そんな文章の締めくくりに、「白石かずこ、矢川澄子、鍈子ちゃんなぞが長く記憶している美味なものである。精神をこめないと駄目である。料理番組のしち面倒臭い料理はすべてばかげている」とあって、料理のうまみに輪郭がつけられるかのように、森茉莉という書き手の個性を読者に印象づけるものになっています。
好きな嗜好品に「チョコレエト」「洋酒」「煙草」の三つをあげる著者は、洋酒と煙草は少量しかたしなむことができず、「いくらでもたべられるのはチョコレエトだけである」といい、チョコレエトは大人の食べ物だと断固として主張しつつも、「もしすきな洋酒がチョコレエトなみにいくらでも飲めるのだったら、私という人間は、ヴェルモットを飲んではホームズを読み、ボルドオの紅を飲んでは小説を書き、また小説は今よりもうまく書けて、いつも酔い果て、朦朧として編集者にあい、どんな好きな映画がかかっても、腰が持ち上がらないかも知れない」と、次々に語り出されるところなど、思わず頬がゆるんできてしまいます。
- 感想投稿日 : 2021年3月12日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2021年3月12日
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