はじめての現象学

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  • 海鳥社 (1993年4月27日発売)
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『現象学入門』(NHKブックス)と同じく現象学の入門書ですが、『現象学入門』がある程度までフッサール自身の議論にそくして話が進められていたのに対して、本書は著者自身の立場がよりはっきりと打ち出されています。

「主観-客観」問題は、デカルト以降の近代哲学の中心問題でありつづけてきました。しかし著者は、フッサールによってこの問題は大きく転換されることになったといいます。フッサールがめざしたのは、主観と客観との「一致」ではなく、「確信の成立の条件」を解明することでした。そのうえで著者は、フッサールによってもたらされたこうした問題の変更の意義を、次のように説明します。

ひととひとのあいだで、あるいは文化と文化のあいだで認識の齟齬が生じたとき、われわれはことばやルールによって理解しあいながら共存しうる可能性の原理を問いなおすことになります。もしそのような可能性が存在しなければ、ひととひと、文化と文化とのあいだに共通了解は成立せず、ただ力による世界解釈の押しつけだけが存在することになってしまうからです。現象学における「本質直観」とは、われわれの知覚経験のなかに含まれている普遍的な意味をつかみ出して言葉にもたらすことを意味します。このばあい、本質直観によってつかみとられる意味は、客観のなかにはじめから含まれている「真理」ではありません。むしろわれわれが現実経験の「意味」をさぐることは、確信の「共通了解」をさぐることを意味しています。著者はこのような観点から、フッサールの現象学が人びとのあいだで共通了解を築いていくための方法論としての意義をもつことを指摘しています。

われわれはさまざまな経験を通して、世界についての多くの確信を抱くようになります。その結果、人びとのあいだで「良い-悪い」「快-不快」といった感受性の違いが生じます。しかし人びとは、たがいいの感受性の違いを認めあうようになり、共通了解の新しいルールを形成していきます。著者は、このとき人は自己のエロス的な満足を追求することから、他者との関係の中で新しいエロスを追求することへと変わっていったのだと考えます。共通了解はこうした「関係のエロス」を味わおうとする人びとの努力のなかで形成されていくとされています。著者は、こうしたエロス的原理に基づいて、他者との関係性のなかでみずからの生を「よい」ものとして味わい感受することについての考察を展開しています。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 哲学・思想
感想投稿日 : 2017年12月7日
読了日 : -
本棚登録日 : 2015年4月2日

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