「信仰と祈り── それがあればうまくいくんだ。本当だよ」
上巻の幼少期のコメディ感とはまったくちがう舞台の幕が開いたよう。オウエンとジョンがまるでひとつにとけてゆくような、過去から現在、未来へと漏斗の管からおちてくる必然がひたひたと哀しい音をたてる。そしてわたしたちの無頓着は責められる。
けれど滾る怒りと情熱は果てしもなく、そこから放たれるエネルギーをめいっぱい、わたしも浴びた。そうしたら、光がみえたんだ。希望という、脳の片隅に埃をかぶって置き去りにされていた、「信じる」 という感覚が。どうして泣いているのかな、わたしは。
ごめんなさい。という言葉が、零れてきたんだ。
信じること(たとえば自分がなんらかの使命をもって生まれただとか、特定の宗派だとか)の素晴らしさと痛々しさの境界線は??盲信することの、危うさと堅固さについてはどうする??
「やりたいと思うことはなんでもできる── やれると信じさえいればね」
あまりにもアメリカ的なんだけれどさ、でもやっぱりこんな力強いことばにまた泣いてる(わたしはきちんと信じてあげられていなかったあなたを想って)。飛んでいった人差し指の先っちょは、未来を指していた?きっとそうだろう。
「当初の約束が実際にそのとおりになることは決してない」救いようのない世界を 信仰 していたって(しているからこそ)、ひかりは美しくて尊いんだ。
みんなの "信じる"(努力)が集まれば(元気玉みたいにね)、あるいは、(このクソッたれな)世界を変えることだってできるのかもしれない。自分たちがこの世界の巨大なる ゲーム のうねりの、ひとつの駒でしかないのだとしても。
そんな夢をみた。
祈りとは、愛なんだ。懐疑をも晴らす、愛の閃光だ。
「信仰それ自体が奇蹟なんだよ、オウエン ── わたしが信じた最初の奇蹟は、わたし自身の信仰だった。」
「ただ、もう少し強く信じればいいだけさ」
「そうじゃなくて、必要なのはもう少し練習することだろ」
「練習が必要なのは信じることだ。」
「違いますよ、リッシュ夫人── いまならぼくには答えられる。かれは未来の指導者ではありません。ぼくたちの未来は彼のほうへは向かっていかなかったのです。未来はどこかほかのところへぼくらを連れていくでしょう── そして、指導者は、オウエン・ミーニーとは似ても似つかなぬ人間なのです。」
「そして、世間を渡っていくとき、道徳的な人間であると、それだけ運に恵まれると思っているのか、あるいは逆だと思っているのか?」
「「政治的」であるとは、自らチーズバーガーにとりつかれるということなのだ─── しかも残りの人生をすべて棒にふって。」
「ぼくたちは利用されようとしているんだ」
「アメリカ人に何かを気づかせるためには、税をかけるか徴兵するか殺すしかないんだ」
「心から好きだと思える生き方を見つけられた幸運の持ち主は、その生き方を守る勇気を出さなくちゃいけない」
「そう、平和のためであれ、何のためであれ、自分は正しいことをしているという意識は本来押しつけがましいものだ。」
「人間は運命の前には無力であり、時間の犠牲者である── それを思っただけで心おだやかではいられないし、また社会制度はどんなものであれ人間の期待にそぐわない。 このような救いのない世界を信じることは、信仰に似ていなくもない。┈┈┈┈ ハーディーが信じていたものは、裸で、むき出しで、傷つきやすい、あるいは、結局あらゆるものは悲劇的結末を迎えるという信念だ。」
「この世界を見るがいい。どれほど多くのすばらしき指導者たちがら神の欲するものがわかるといっているか!面倒を起こすのは神ではなく、神を信じると称し、神の御名のもとに自分たちの利益を追いかける、わめき声の連中なんだ!」
「誰が『救いようがない』のかを判断するのは、あなたでもぼくでもない。われわれが判断することではありません」
「それがどういうことかわかってるのか?テレビにぴったり── そういうことさ」
【わざわいなるかな、彼らは悪を呼んで善といい、善を呼んで悪という】
- 感想投稿日 : 2023年3月17日
- 読了日 : 2023年3月17日
- 本棚登録日 : 2023年3月17日
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