社会の30年前は 「歴史化」 されるべきなのに、なかなかそうならない。とくに日本社会でそれを阻むのは、個人の感傷的 「回想」 の集合であるとする著者が、昭和時代の文藝表現(映像作品を含む)を 、「家族」 という断面で、「歴史」 として読み解いた刺激的な本です。
あとがきに、『昨今、家族の崩壊を憂える声しきりだが、昭和戦後人が 「イデオロギー」 に翻弄されつつ 「衣食足りて不善をなす」 ということわりに従った必然の結果』 と厳しい。
「...品のない大衆は昭和11年にもいたが、現代にもいる。数はさらに増している。技術の進歩と品格の向上には相関関係が無い。問題は、大衆の品のなさを嘆く自分もまた大衆のひとりにすぎない、というジレンマである。」 と、著者の目は澄んでいる。
向田邦子 『父の詫び状』 に見る 「戦前の」 の夜、対比される、吉野源三郎 『君たちはどう生きるか』。女性シングル、幸田文 『流れる』 の戦後から、退屈と 「回想」 の、鎌田敏夫 『金曜日の妻たちへ』、『男女7人夏物語』、山田太一 『ふぞろいの林檎たち』。
時間は恐ろしい。文が玉に教えた、大叔母に対する 「口上」 は、私には思い浮かばない。その外、ざっかけない、なんどり、脊梁骨を提起しろ...お手上げです。でも、回想は止めよう!
「おとなは、大事なことは、
ひとこともしゃべらないのだ」
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
未設定
- 感想投稿日 : 2016年2月25日
- 読了日 : 2008年7月24日
- 本棚登録日 : 2016年2月25日
みんなの感想をみる