ある異常体験者の偏見 (文春文庫 306-7)

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  • 文藝春秋 (1988年8月1日発売)
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「おかしい、おかしい、これはどう考えてもおかしい」「何か基本的な発想、または思考の図式に根本的な誤りがあるのではないか」「このまま行ったら墜落しないはずはないが……」8
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私は、あなた方が、それを本気で信じていたことを知っているのだ。だから私自身は、「軍部が国民をだました」などという言葉にはだまされない。あなた方は、自らが信じていたが故に、そのバランスシートに基づいて戦争をはじめたはずだ。17
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「兵器に人間を合わせろ」は結局「状況に人間を合わせろ」であり、それが最後に行きつくところは、人海戦術であって(…)「作戦目標の達成と人間乃至は人間の能力」は相対関係だと考えることも許さないのと同じ発想だからである。47

「作戦目標達成に人間を合わせろ」になるから、そのためには「わが方の損害」を一切無視してもよいことになってしまう。47

叩き直すのは砲の方であって、人間の方ではない。問題はいつもここに来る。修正するのは「作戦」の方であって人間の方ではない。訂正するのは「計画」の方であって、人間の方ではない。そういうものを絶対視して、その方に人間を合わせるということは、世界いずれの国家がそれを行っても誤りであると私は考えている。52
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「命令」は日本軍にはなかったのではないかとさえ私は考えている。79

形式的な命令や星の数だけでは、ましては単なる組織論では、日本軍という組織は絶対に動かなかった。80
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その人たちは、他を律するのと全く同じ基準で自己をも律し、そのためには処刑されることも辞さなかった。これはなかなかできない。80

戦争が終って、わが身が安全になれば、また、あたかも自分がそういう型であったかのように気取る人は、これまた実に多いけれども――。81
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いれば良い。たとえ一人でもいればそれでいい。一人いたということと一人もいなかったということは、実は、数の差でなく絶対的な差だからである。93
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南京戦の前に、多田参謀次長が、「いま『トラウトマン斡旋案』を受託して戦争をやめねば、日本は破滅する」といって、これを受託さすべくあらゆる方法で、極力各方面に働きかけたそうである。71

なぜこれらの最も重要なことを知らせずに、「戦意高揚記事」を書きつづけて来たのか。71

判断をまず規制するということから生ずるのだろうと思う。負けるという判断自体がよくない、そういう考え方は敗戦主義者の非国民のすることだ、という考え方だろうと思う。71

「商業軍国主義者」もまた軍事の責任者の言葉を平然と無視するのである。116

ここで指摘したいことは、日本を破滅させた最大の原因の一つは、この「商業軍国主義者」ではなかったかということである。123
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確かに太平洋戦争は苦難の道だが、その道を選ぶにあたっては、常に、最も苦しい自己との戦いを回避して、その時その時の最も安易な方向へと進んだことは否定できない。205
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補給が途絶せず、飢えさえなければ、いかなる大量砲爆撃にも平然と耐えられることは、金門島がよく物語っている。この小島に撃ち込まれた砲弾の総数は驚くなかれ約百万発に近い。

しかし彼らは飢えないがゆえに平然としている。一方、シンガポールでは、一門約四百発でイギリス軍は降伏した。

軍備とは何か、それは食糧だという事実を。218
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そのすべては近代戦を行いえない体質にあり、そのことは太平洋戦争という高価な犠牲が百パーセント証明した――これが、当時のわれわれの実感だったはずである。221
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それは常に、虚構の座標に意識的に線を交会させ、それによって自らを欺きかつ他を欺く「創作」をしているにすぎないのである。たとえ「一億一心」で一億本の線が交会しても――。

複雑きわまる他国のことを標定して、「現実」が一点の座標で表せるはずはない。279
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日本の新聞はすでに長い間実質的には「大日本帝国陸海軍・内地宣撫班」(と兵士たちは呼んだ)として(…)これさえマック宣撫班に改編しておけば、占領軍に対する抵抗運動など起こるはずはない、と彼は信じていた。

「史上最も成功した占領政策」という言葉は、非常な皮肉であり、同時にそれは、その体制がマックが来る以前から日本にあり、彼はそれにうまくのっかったことを示している。228
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過去において日本を誤らした最も大きな問題点は、ある事実を認めるか認めないかということを、その人の思想・信条の表白とみた点であろう。260
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教授はさびしそうに「何をいっても『アイツ、カブレて来やがった』でおしまいになるなら語っても無意味だ」と。そしてそのことは、今では、横暴な軍部の言論統制のゆえだとされている。262
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一個師団一万五千人の人海輸送力がトラック(二トンづみ)二十台の能力に及ばないのである。265
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カテゴリ: 山本 七平
感想投稿日 : 2012年8月21日
読了日 : -
本棚登録日 : 2012年8月21日

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