…難しい。
分かったようで解らないが解らないようで分かった気もする。
日本人なら理解は難しくはないだろうという根拠のない慢心もあったかもしれない。
しかし鈴木老師は文中で次のように説いている。
「理解しようと思うと、理解できません」
「理解しようとすることをあきらめたとき、すでに本当の理解はあります」
…難しい。
以下、断片的に分かった(気になった)ポイントを挙げる。
全ては空性/仏性を持っている。(我々は皆ブッダなのだ!)
つまり全ては空に形なり色なりが付いたものにすぎず、例えば死によって空に戻る。
これは水の中の水滴に例えられる。
故に自分と他者、自分と世界を区別することに意味はなく、全ては一つ(≠集合体)である。
雑念も、喜びも、苦しみも、愛も、悲しみも全ては空であり、空の存在を信じれば困難でさえもブッダの働きの一部として喜んで受け入れるようになるのだそうな。
悟りとて例外ではなく、空であり、突然閃くものではなく、既にそこにあるものである。
悟りを得る前に悟りは得られている、と。
# 脱線すると、ただ、気づかないだけ、というのはトトロ的なものかなと思ったり。
# 子供の時にだけ会える、という設定も、初心(ビギナーズマインド)を保つことを目指す禅と重なる?(笑)
…分かっていないことがよく判る文章になった。
ただし、これはとても重要なことだが、禅は哲学ではなく実践(ただ座ること)である。
故に上記のような理解は雑念でもあり、時に足枷になるのだと鈴木老師は説く。
「議論は十分だ。お茶でも飲もう!」
- 感想投稿日 : 2014年4月27日
- 読了日 : 2014年4月26日
- 本棚登録日 : 2014年4月10日
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