東京美術学校の岡倉天心の茶道の本。原文は英文。
・道教徒の荘子「魚が楽しそうに泳いでいるね」荘子の友達「あなたは魚じゃないのに、なんで魚が楽しんでいるとわかるのか」荘子「あなたは私じゃないのに、なんで私が魚の楽しんでることがわからないということがわかるのだ」みたいな話があったけど、二人とも屁理屈を言ってるようにしか見えないw
・無用の用
・茶室は平和の家だから武士は刀を持ちこんじゃ駄目で、それで、三尺ほどの高さの小さな小口(躙口/にじりぐち)から身をかがめて部屋に入るのは、身分の上下に関係なくすべての客がそうして、謙譲を教え込むっていう話が印象に残っている^^
・ある武士の不始末で屋敷が火事になっちゃって、彼は絵を取りに行ったんだけど出口が燃えてて出られなくて、絵を救うために袖を破いて絵をくるみ、刀で自分の腹を斬って中に入れたんだって。火が消えたあと、半ば焼けただれた彼の死体が見つかり、腹の中の絵は残っていた・・・という話には思わず絶句した。(雪村筆の有名な達磨絵を所有する細川侯の屋敷の事件を扱った芝居)
・→引用120,121
確かに、流行に流されると自分が「良い」と思うという意見を尊重できなくなるな。(これは芸術に限らない話だけど)流行するものが「良い」ものだとみんなが思いこんで、自分で観て判断しないということを多分批判しているんだと思うんだけど、
自分が「良い」と思うものは、多様な価値観の中で、自分の主観でそう思っているのであるから、自分が「良い」と思ったものが、たまたま流行と違っていたとか、流行と同じだったとか、わざと流行に乗らないとか、そういうのはあくまで主観に依存するのであって、価値観は時代とか場所によっても違うので、普遍的な「良い」作品はないと思う。みんなが「良い」と思うから流行するという場合もあると思うし。
・・・という捉え方しか私はできないな。何言ってるか自分でわからないな。オワタ\(^o^)/
・訳のせいもあるのかも知れんがすっごい毒舌!読んでてゾッとするw
いいですね、じゃねーよ!→引用136(花)
- 感想投稿日 : 2010年10月27日
- 読了日 : 2010年10月26日
- 本棚登録日 : 2010年10月26日
みんなの感想をみる