世界史としての日本史 (小学館新書 は 9-1)

  • 小学館 (2016年8月1日発売)
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感想 : 57
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【きっかけ】
出口さんの著作が読みたくて。図書館。

【感想】
我が家のテレビのチャンネルは、NHK総合・NHK教育・民報3局の全5チャンネル。ニュースが見たいと思ってテレビを付ける。そこで流れるニュースの内容、もっと日本国内の政治や社会問題について取り上げて欲しいと思う。といっても、テレビを付けない日も多いし、見る時間も少ないので、私が見たときに偶然そうだということなのかもしれないが。国内の良い面を発信するのも良し。他国のニュースも必要だ。だがしかし、報道の役割とは?テレビの役割とは?娯楽も必要だけれど、そちらが過多になっていやしないか?と、思っている。そして私の中でますますテレビ離れが進む。

もっと考えたいことがある。もっと欲しい情報がある。知りたいことがある。その欲を満たすためのコンテンツが、今はありがたいことに、書籍やネット上に豊富にある。海外情報が知りたければ、海外のコンテンツを直接入手することもできる。

P59で出口さんが書店に並んだ本について述べた後、「普通なら嘲笑されることが、日本語の壁のおかげで笑われずにすんでしまっているので、その愚かさに気がつかず、どんどんエスカレートしてしまっている。」と述べていた。それに対して半藤さんが「簡単に言えば、他国の悪口を言って、貶めているヒマがあったら、歴史なり古典なりを勉強して、自分を高める努力をしろってことですよ。」と述べていた。

はっとさせられた。日本語の壁。本当にそうだ。だからこそ、娘と息子には、海外の情報を直接仕入れられるようになって欲しいと思って、少しずつ行動に移している。そして、更に言えば海外以前に、まずは日本や自分の周りで起こる事に向き合い考え行動できるようになって欲しい。そう考えていると、つまるところまずは私自身が社会についても普段の生活で起こる事についても真摯に向き合い、学び、話題に出し、家族と対話し続けることが大切だと、常々感じている。

私は親から「政治、宗教、野球の話はしないもの」だと、それが暗黙のルールだと、そう言われて育った。ニュースを見ていて何か思うことを話せば、「わかったような口をきくな」。選挙のときに親に誰に投票したのかと問えば、「政治の話はしないもの」という返事だった。私が幼く、他で話題に出されたら良くない、と思ってのことだったのかもしれない。当時は、少なくとも親が身を置いていた社会では、それが暗黙のルールだったのかもしれない。しかし、今現在私が親となり、教育のこと、家族と自分と次世代の未来のこと、現在の様々な社会問題、について考え、どう生きていきたいのか、何が幸せなのかを考えたときに、私は親と同じスタンスは取れないと思った。

社会の問題は自分の問題だし、政治について、社会について学び、考え、意見交換し、考えを深め、そして投票や自分の行動にそれを反映させていくことは、大切なこと。一番身近な家族だからこそ、未熟な考えでも臆せず話せて、話すことによって、自分が知らないことがどこなのか、どこを学んでいけば良いのかといった輪郭も見えてくると思う。家族の会話は、学びの場でもあると思う。「わからないなら発言できない」では、知識や考えは広がらない。自ら学ぶことは必須だけれど、「わかってから発言する」が前提だとしたら、「わかる」なんて大人だって出来るものじゃないと思う。人の発言に対して真摯に向き合って会話することが大切なんじゃないか。自分の知識も足りないと感じたら、共に勉強していけば良いじゃないか。

私は子どもや夫と、多いに議論したい。結婚前は、夫と踏み込んだ話はできなかった。「政治の話はしないもの」という暗示が私の中にもあった。人は人だ、という気持ちもあったので、踏み込むべきではない、という気持ちもあった。

しかし、結婚後、特に妊娠後から、踏み込むことの必要性を感じだした。

夫や家族は別人格。そうとわかっていても、生活には価値観が現れる。生活を共にする以上、自分の生き方と、パートナーの生き方は、切っても切り離せない。人は人、と割り切るには、あまりに近すぎる。

家族がお互いの生き方をサポートし合う関係である以上、家族の生き方は自分の生き方に重なる。自分とは違う「パートナーの価値観」を肯定して、かつその価値観をもとに同じ場で生活すること(サポートすること)が、自分の価値観を否定するようで苦しくなることがある。

お互いの価値観や意見を尊重しつつ生活していくためには、やはり踏み込んだ話し合いも必要だと感じた。踏み込んだ話題に触れるたび、夫との意見の相違や価値観の違いを感じることが増えた。でも、大切な人だからこそ、踏み込んで話し合いたいし、何をどう感じるのか、知りたいと思う。そして自分の価値観も伝えたいと思う。

身近な人だからこそ踏み込みずらい面もあるし、身近な人とこそ話さなければ、誰と踏み込んだ話ができるのだ、という面もある。(私がそういう相手を家族以外にもっていない、というだけかもしれないが。)

政治や社会、価値観についての話題は、感情が高揚しやすい、と感じる。ただ、人格を否定するのではなく、事実や、「こう考えている」という「考え自体」について話すのであれば、「高揚しそうな自分」と、それとは別の「事実を"そうなんだね"ととりあえず受け止めてから考察できる自分」の、その両者を自分の中に持ちながら話すことができる。以前の自分は、この「事実」や「考え」を「人」と切り離して考えることが苦手だったのだと思う。今でもつい、感情が高揚しそうになることはあるので練習中ではあるのだけれど。この「人」と「事実」を切り離すことが、議論のポイントなのではないか。と思う。

…なんだかまとまらなくなってきたのでこの辺で。「政治や社会についての話を躊躇せずできる家族でありたい」ということが書きたかった。

【読み返したいポイント】
・p55…古典について
・p59…日本語の壁
・p72…『坂の上の雲』、小説としてすっきりときっれいに書きすぎちゃった
・p72…第二次世界大戦はノモンハン事件から始まった。戦争をしたくなかったのはロシアのほう。日露戦争も一例だが、日本が戦った戦争について、日本人がもっているイメージと、実際の戦争との間には大きなズレがある。
・p73…天皇陛下は2015年年頭の「天皇陛下のご感想(新年に当たり)」で「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なこと」と。天皇陛下や皇后陛下のお話は、非常に深い歴史観や人間観をベースにしておられるので、すうーっと胸に入ってくる。(出口)
・p100…日露戦争で市民に戦況を、勝ったと大げさに伝えると判断した。これを何度か続けると、現実との乖離がどんどん大きくなって、もはや後戻りできなくなる。過激なイエスを何度か選んでしまうと、他の選択肢が選べなくなる。ノーを選ぼうとしたら、それまでのプロセスを全否定しなければならないので、ものすごいエネルギーが必要で、今さらつじつまを合わせるなんてできなくなってしまう。だから、もうこのまま行くしかないというムードになってしまう。

→核燃料サイクルのことが頭をよぎった。

・p124…重要なのは費用対効果とその仕組みが持続可能かどうか。
・p120…総力戦のベースは経済。軍人は経済がわからない。極論すれば、網たくて王が、数年で連合王国に経済で追いつけると思って大増産計画を立てて失敗した大躍進政策のようになりかねない。経済がわからない人に、総力戦の体制がつくれはずがない。
・p134…(半藤)ISはテロを目的とするだけのテロ集団ときめてしまうのは間違いではないか。非成立国家が余計なことをして秩序を破壊してきた国に対する戦争を仕掛けているのではないかと捉えたほうがいいんじゃないか。(出口)イスラム教という宗教を変に絡めるから、物事の本質が見えなくなる。
・p218…フランス風に、明治維新以降を第一立憲制の時代、戦後に新憲法ができてからを第二立憲制の時代と分けて考えたほうがいい。(出口)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 新書 ルポ 自啓 実用 教育 レシピ
感想投稿日 : 2020年11月12日
読了日 : 2020年11月12日
本棚登録日 : 2020年11月12日

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