今年になって『大江健三郎往復書簡―暴力に逆らって書く』を読んで感激した私は、大江さんと書簡のやりとりをしている世界の作家たちの作品をちらほら眺めてきました。そんな感銘の旅の大トリを飾るのは、マリオ・バルガス=リョサ(1936年~ペルー、2010年ノーベル賞作家)! うれしい邂逅に心が躍ります!
いや~さすが、面白く読ませますね。しっとり落ち着いた大人の作風で、その小説作法の美しさにもびっくりします。頭が尻尾をくわえたような冒頭と末尾の繋がり、その間をバルガス=リョサを思わせる「私」と、彼の古い友「サウル・スラータス」のふたつの視点で丁寧に紡いでいきます。ペルーの少数部族の野生に満ち溢れた神話的・呪術的な語り、かたや生の潤いを失いながら、物質的豊かさを誇る文明社会の悲哀……まるで秘めやかなシンメトリーの庭園をこそっ~とのぞくような心境です。
アマゾンの密林に生きるマチゲンガ族の神話は、天地創造から愉しく生き生きとしていて、人間が虫やヘビやらに次々と転生していく変身譚などは、まるで自然との調和を重んじる古いケルト神話のようでびっくり仰天です。また未開の野蛮人だと切り捨てる文明社会に対する痛烈なサウルの語りはとりわけ印象的で、ペルーの少数部族を調査した経験をもつ作者の想いが秘められているようです。
「結局、進歩とか、未開の人々の近代化とか、我々の勝手な言い分にすぎないんだ。それは単に彼らを滅ぼすだけさ。……君が尊敬、いやわずかでもいい、共感する気持ちで近づき、よく観察すれば、野蛮人だとか、遅れているとか呼べないことに気がつくだろう」
密林に生きる少数部族の宇宙や自然との共生、動植物や薬草の深い知識にくわえ、緻密な観察と分析、細分化した分類、それらをあやまたず語り継いでいく驚異的な記憶力……本作を読んでいるうちに、ふとあの有名な人類学者レヴィ=ストロースのアマゾン密林に生きる少数部族のフィールドワークと重なってきます。そこでは近代科学・合理的論理的思考をあたかも至上とする文明社会に警鐘を鳴らしていて(難しいことはよくわかりませんけど)、彼の本をながめてみると、連綿と語り継いできた密林の人々の深い叡智には、度肝を抜かれたものです。
「怒りは世界の不調和の種である。もし人間が怒らなかったら、人生はもっと素晴らしいものになる。<彗星――カチボレリネ――が天にあるのは、怒りに原因があるのだ、炎の尻尾を出し、駆け巡り、宇宙の四つの世界を混乱させる脅威になっている>と、彼は言った」
ひどい悲しみからくる怒りの感情を抑えることができなかったカチボレリネは、竹の先に火をつけると、もう一方の先を尻の穴に入れて天に昇っていきます。それが彗星となって世界を混乱させているのだそう。
友サウルが転生したのは「密林の語り部」。彼が語る神話は奇想天外でユーモアにあふれ、じつに豊かで静寂です。自然の摂理の中で足るを知り、調和を重んじながらそれを畏怖し、生き物の生と死に想いを馳せる人々。かたや違法伐採、鉱物の採掘、再起不能になるほど自然の搾取や破壊を繰り返している抑制のきかない文明社会、いったいどちらが野蛮なのだろう? 科学的・合理的思考に偏れば偏るほど、どんどん人間が薄っぺらくなっていくような気がします。
おもしろくて、あっというまに読み終えた本作は、また近いうちに再読したい魅力的な作品でした。作者の思慮深さや美しい庭園のような小説作法にも惚れ込んでしまい、もっと彼の別作品にも触れてみたくなりました(^^♪
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「抑制のきかないものには、知恵はないし、集中力もない。
そして、集中力のないものには平和はない。
そして、平和のないものに、どうして幸福があり得よう」(「マハーバーラタ」)
- 感想投稿日 : 2018年9月15日
- 本棚登録日 : 2018年8月28日
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