チェコの作家ボフミル・フラバル(1914~1997年)は、池澤夏樹さんの文学コレクション(『わたしは英国王に給仕した』)にもエントリーされていてとても面白い。少し悩みましたが、どちらかといえば私は本作『あまりにも騒がしい孤独』がより楽しめましたのでレビューしてみます。それにしても魅力的なタイトルをつけてくれる作家でわくわくしますよね♪
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ひたむきに古紙処理の仕事をしてきたハニチャは、毎日大量に捨てられる古紙をつぶしながら、ときおりそこでみかける美しい本たちを救い出し、仕事そっちのけで読みふけります。まばゆい作品たちを読むのを唯一の生きがいとしてきたハニチャでしたが、あっというまに時は流れ、なにやら外ではざわめきの予感が……滑稽で悲哀の漂う孤独な男のみじか~い物語。
「……僕は心ならず教養が身についてしまい、だから、どの思想が僕のもので僕の中から出たものなのか、どの思想が本で読んで覚えたものなのか、もうわからなくなってしまっている。こうして僕は、この三十五年の間に、自分や自分の周りの世界と一つになってしまっているんだ。というのも、僕が本を読むとき、実は読むのじゃなくて、自分のくちばしに美しい文をすーっと吸い込んで、それをキャンディーみたいになめているからだ」
あぁなんて可愛らしいこと、なんだか『エセー』のくだりをパロっているようで思わずにんまり。棄てられた美しい本はきっと禁書になった本たちなんだろうな……学者や知識人たちがボイラーマンや肉体労働をしながらひっそりと隠れるように生きていたり……そこここに言いようのない愛惜と切なさが散らばっていて、冒頭から読む者をとらえて放しません。
「……そもそもまともに休暇をとったことなんかなくて、休暇は交代勤務を休んだ日の埋め合わせでほぼ使い果たしていた。まともな理由なしに交替勤務を一日休むと、ボスは休暇から二日を差し引いたし、何日が残っても、僕は仕事をして賃金に替えていたからだ。だって僕にはいつも仕事が残っていて……だから僕のためにサルトル氏が見事に、そしてカミュ氏がもっと見事に書いていたように、三十五年間、毎月僕はシーシュポスコンプレックスを経験し生きてきたわけで……要するに切りがなかったんだ」
はたからみてもハニチャは貧乏暇なしで、それこそ大きな石、いやいや紙の山に押しつぶされてしまいそうな日々を過ごしているわけですが、そんな悲哀を滑稽でシニカルな笑いで包みこんでしまうフラバルの魔法にうなってしまいます。
それにしてもチェコにはフラバルのほかに、カフカやハシェクあるいはチャペックやクンデラといった優れた作家が多くて、いつも驚きと感動の連続です。その目線はつねに庶民的で気取りがない。長い歴史の中で翻弄された人々、ひどく不条理でカフカ的な国、ナチズムとスターリニズムの両方を経験した悲壮で滑稽ともいえる現実を、あえて笑い飛ばそうとする陰りを含んだ明るさとユーモアがあります。そこにはどこか東欧イディッシュ(ユダヤ)文学に通底するような悲哀にみちた笑いが感じられて感銘をうけます♫
素頓狂なおしゃべり好きの作者フラバルは、ハシェク『兵士シュベイクの冒険』、セルバンテス『ドン・キホーテ』、ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』といった先達の作品に霊感を受けたようです。なるほど、読む人をあきれさせるほどしゃべりまくる面々で、豊かな笑いとペーソスが溢れています。
そして、わかりやすくひもといてくれる解説にも感激します(^^♪
- 感想投稿日 : 2018年7月2日
- 本棚登録日 : 2018年6月5日
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