蠅の王 (新潮文庫)

  • 新潮社 (1975年3月30日発売)
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感想 : 415
5

"風をはらんだ外套にくるまれているその少年のからだは、背が高く、痩せて、骨ばっていた。黒の帽子の下に見える髪の毛は、赤い色をしていた。顔はくしゃくしゃしていてそばかすだらけで、愚かさというもののない醜悪な容貌を呈していた。二つの淡い青色の眼がそこからのぞいていたが、失望の色が見え、今にも憤怒に燃えそうなようすだった。(p.28)"
"「獣ヲ殺セ! ソノ喉ヲ切レ! 血ヲ流セ!」(p.259)"
 
  1983年にノーベル文学賞を受賞したウィリアム・ゴールディングの代表作。”少年漂流物語の形式をとりながら、人間のあり方を鋭く追究した問題作。(文庫裏表紙より)”
 無人島に漂着した少年たちは、選挙により隊長を決め、自分たちが決めた規則の下で秩序だった生活を送るが、頭を朦朧とさせるようなジャングルの酷熱と夜の暗闇の中次第に理性を失っていき、心の中に潜む獣性に支配されてゆく。
 僕が思うに、優れた寓話とは、(1)比喩・象徴を用いて抽象的な概念を表現しつつも、(2)一元的な解釈に収まりきらない側面を持ち、(3)現代批評を含んでもいいがその役割は限定的で(そうでなければ風刺になる)、時代を超えた普遍的な物語である、という3つの要素を含んだものだ。
 この小説では、少年のうち主だった人物として、ラーフは良識を、ピギーは知性・科学的精神を、ジャックは獣性を、サイモンは聖性を代表すると言われる。 ラーフは選挙で選ばれた少年たちの隊長で、救助のために烽火を絶やさないことを他の少年たちにも求める。彼自身はどちらかというと優柔不断な少年であるのだが、最初に「ホラ貝」を吹いて島に散らばっていた少年たちを集めることになったために隊長に選ばれる。そこに、彼の悲劇がある。 ピギーはおそらく上流階級の出身(彼だけ他の少年と発音のアクセントが違うという描写(p.104)がある)で、冷静に状況を把握し、するべきことを実際的に考えられる聡明さを持つ。彼だけが眼鏡(=文明の利器)を持っているが、物語が進むにつれてそれは少しずつ壊れていく。また、名前が登場する他の少年たちは本名で呼ばれるのに対し、ピギーだけは本文中で一度も本名が明かされず「ピギー(豚ちゃん)」という綽名で呼ばれ続ける点にも注目すべきだとは思うが、僕の中でまだ上手く解釈しきれていない。 ジャックは、島にいた野豚を狩る狩猟隊を任された少年だが、狩りのなかでその悦びに囚われ、遂には仲間たちとともにラーフを離反し、島の最大派閥の長となる。ここで「最大派閥」と書いたが、実のところ本書の記述からはそれが何人なのか分からない。ジャックは確かに獣性の「狂暴さ」を表しているが、獣性の「底知れなさ・根の深さ」のようなものは、この何人なのかさえ曖昧模糊としている大多数のモブ少年たちによって表現されているのではないか。そう考えると、結局物語の最後まで、島にいる少年全員の人数が彼ら自身にも把握できなかったことは、作者が慎重にそのような描写を控えているからなのだと言えそうだ(例えば、1章で合唱隊が浜辺に現れたとき、彼らは二列縦隊を組んで歩いていたから人数を数えやすいはずで、他の少年に「○○人の少年たちが来た」と言わせたり思わせたりすることは簡単だっただろうに)。 サイモンは孤独を好む人物で、ラーフやピギー・ジャックが持ち得なかった、心の奥に巣食う「悪」に立ち向かう勇気を唯一持つ。彼がたった一人で「蠅の王」と対決するシーンはとても見事である。
”「獣を追っかけて殺せるなんておまえたちが考えたなんて馬鹿げた話さ!」と、その豚の頭はいった。その一瞬、森やその他のぼんやりと識別できる場所が、一種の笑い声みたいな声の反響にわきたった。「おまえはそのことは知ってたのじゃないのか? わたしはおまえたちの一部なんだよ。おまえたちのずっと奥のほうにいるんだよ? どうして何もかもだめなのか、どうして今のようになってしまったのか、それはみんなわたしのせいなんだよ」 笑い声が、また震えるように反響した。(p.245)” 
他にも、ラーフが少年たちを集めて集会を開くのに使う「ホラ貝」は民主主義の象徴だろうし、最初は救助を求めるための烽火だったが、「獣」に追われて山の頂上から下ろすことになり、最終的にはジャックに奪われ料理用の焚火に堕する「火」は、プロメテウスの神話を持ち出すまでもなく、文明や理性の象徴だと考えられる。さらに、火を点けられるのはピギーの眼鏡だけというのも面白いし、その眼鏡は近視用の凹レンズだから実は日光を集めて着火するには使えないはずだというのもまた興味深い。
 一方で、上述のような象徴的解釈では説明し切れない部分もある。例えば、ラーフは立場・主張的にはピギーに近いにも拘わらず、彼のことを疎ましがり、寧ろジャックの方に親しみを感じていたように思われる(とは言え、物語中盤でラーフとジャックは袂を分かつことになるのだが)。また、嵐の中の熱狂でサイモンを殺してしまうことになるシーンでは、ジャックを中心とする狩猟隊の荒々しい踊りに、ラーフとピギーも一体感を感じて安堵する描写がある(p.258)。
 また、出来事の間に挟み込まれる風景描写も素晴らしいと感じた。実は一読目は半分くらい読み飛ばしていたのだが、続けて二読目のときもう少し真面目に読んでみると、情景描写やこれから起こる出来事の予言として効果を上げていることに気づかされた。特に、サイモンの亡骸が波に流されていくシーンは美しいと思う。



参考にしたウェブページ
・うさるの厨二病な読書日記. 「蝿の王」の新訳と旧訳の読み比べをしながら、翻訳について考えたこと。
https://www.saiusaruzzz.com/entry/2019/03/08/120000

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 9 文学海外
感想投稿日 : 2022年5月8日
読了日 : 2022年5月6日
本棚登録日 : 2020年3月1日

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