フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

  • 新潮社 (2006年5月30日発売)
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"その瞬間について語るとき、あまりにも鮮烈な記憶にワイルズは涙ぐんだ。
「言葉にしようのない、美しい瞬間でした。とてもシンプルで、とてもエレガントで……。どうして見落していたのか自分でもわからなくて、信じられない思いで二十分間もじっと見つめていました。それから、日中は数学科のなかを歩き回り、何度も机に戻っては、それがまだそこにあることを確かめました。ええ、ちゃんとありましたよ。私は自分の気持ちを抑えられなくて、とても興奮していました。あれは私の研究人生で最も重要な瞬間です。あれほどのことはもう二度となしえないでしょう」(p.415)"

 "私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない"という文句とともに有名なフェルマーの最終定理が、数々の数学者の苦闘を経て、3世紀以上の後に遂に証明されるまでを描いたドキュメンタリー。

 本書を読んで抱いた印象は、訳者の青木薫がほとんど代弁してくれている。
"正直言って私は少々むっとした。というのも本書のはじめの方では、数学にくらべて自然科学は劣っている、劣っていると繰り返し強調されているからだ。たしかに証明の厳密さという点では負けるかもしれないが、「自然科学には自然科学のすごさがあるのだ!」と、数学への対抗意識が燃え上がった。(略)これほど美しく、しかも科学の道具としてはおよそ役に立ちそうもない大定理が証明されたのだから、数学者が得意絶頂になるのも無理はない。そう自分に言い聞かせて、とりあえず先に進むことにした。しかしまもなく私は、対抗意識などどこへやら、数学と数学者の世界に引き込まれてしまったのである。(p.486)"
一応大学で物理学を学んでいる身としては、証明が厳密であること一事を以て数学が自然科学に対して優越しているとする気はないが、確かに数学には他の自然科学にはない独特の純粋さがあることは認める。それは、論理とアイデアだけを頼りに、頭脳の中で一個ずつブロックを積み上げていく純粋さである。
 フェルマーの最終「予想」がこれほど多くの数学者を惹きつけたのは、その主張が極めてシンプルであることが大きいと思う。主張だけなら、おそらく数学を学び始めの中学生でも理解できる。しかし、それは300年以上もの長きにわたり数学者たちのアプローチを跳ね除けつづけた。
"「その問題はとても簡単そうなのに、歴史上の偉大な数学者たちが誰も解けなかったというのです。それは十歳の私にも理解できる問題でした。そのとき私は、絶対にこれを手放すまいと思ったのです。私はこの問題を解かなければならない、と」(p.37)"
2012年にABC予想の証明を発表した京大の望月教授が若い頃に「シンプルだがその奥に深い構造がある問題に取り組みたい」と口にしていたというのをNHKの特集で見たが、フェルマーの最終予想などはまさにそのような問題の一つだと言えるだろう。

 この本には難解な数式など一切登場しない。にもかかわらず、物足りなさは感じなかった。それは、一つにはサイモン・シンの筆力によるものだ。フェルマーの最終定理を巡る歴史をまとめ上げる構成力・表現力は、数多のサイエンスノンフィクションの中でも群を抜いている。また、数式は確かに使っていないのだが、例えば数学的帰納法や背理法といった、なぜ定理の証明がこれほど困難を極めたかを理解するうえで必要な数学の知識は抜かりなく解説しているのは見事である。そして何よりも、最終定理に挑み続けた数学者たちの人生そのものがドラマに満ち溢れているからだ。フェルマーの最終定理の完全な証明を成し遂げたのは、アンドリュー・ワイルズである。だが、この偉業は彼一人に帰されるものではない。各時代の数学者たちが着実に一つ一つ進展を積み重ねていき、次の時代の数学者にバトンのように繋げていく。その様には、本当に圧倒される。読み始めたとき、1995年の出来事を語るのに紀元前6世紀を生きたピュタゴラスから語り起こすのは些か大袈裟に思ったのだが、本を閉じるときには納得させられるのである。

 定理が証明される過程で、谷山=志村予想の谷村・志村をはじめとして多くの日本人が重要な役割を果たしたことには、同じ日本人としてとても誇らしく思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 4 自然科学
感想投稿日 : 2022年5月30日
読了日 : 2022年5月27日
本棚登録日 : 2022年5月24日

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コメント 2件

土瓶さんのコメント
2022/10/05

BRICOLAGEさん、こんばんは~^^
初めまして。フォロー、ありがとうございます。
拝見したところとっても頭の良さそうな本棚でビビッてます(笑)

それはそうと将棋関係の蔵書が多いですね。
自分は駒の動かし方を知ってる程度で、ものすごく弱いです。
でも、最近気に入っている将棋のマンガがひとつ。
 
「永世乙女の戦い方」くずしろ著
 
女流の話ですがおもしろいです。
マンガ繋がりですが「チ。―地球の運動について―」などもBRICOLAGEさんに合うのではないかと思いました。
ちなみにわたしの本棚にはマンガは一冊も入れてません。多くなりすぎるから(笑)
 
しょうもないコメントをするのが好きなわたしですが、よろしくお願いしますm(_ _)m
 
学問系は実は苦手です(笑)

BRICOLAGEさんのコメント
2022/10/05

土瓶さん、こんばんは! そして初めまして!

フォローしていただきどうもありがとうございます。
拝読した土瓶さんの『フェルマーの最終定理』のレビューが、非常に生き生きと、かつ率直にこの本の魅力を語っておられるので、フォローさせていただきました。
私の本棚が賢そうと仰いますが(ありがとうございます)……残念ながら中身の方はただの盆暗君ですので、どうぞビビらないでやってください(笑)

面白そうなマンガを教えていただき、ありがとうございます!
私の趣味が将棋ということもあって、「永世乙女の戦い方」には特に興味を惹かれました。「チ。」も、いまあらすじを読んでとても面白そうだなと思いました。

仮にしょうもなくても(笑)、コメントは歓迎です!
こちらこそ、どうぞよろしくお願いします!

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