夜間飛行 (新潮文庫)

  • 新潮社 (1956年2月22日発売)
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読む前から、「飛行士の作家」ということで何となく色物だと思っていたが、読んで仰天。『夜間飛行』も『南方郵便機』も正統な骨太の文学作品だった。つまり、現実の日常生活ではなかなか思い至らない人間性や、人生の意味、この世界の深い襞などを見せてくれ、読んだ後もっと生きることに自覚的になれるような作品である。

『夜間飛行』は特に、人生の意義について考えさせられる作品だ。「神は死んだ」というニーチェの宣告は、人々から人生の意義を奪い、ニヒリズムに引きずり込む。それを克服して「生きる」ためには、誰かが神に成り代わって私たちに人生の目的を示し、その道を歩むように律してくれる必要がある。そんな役を演じるのは簡単ではないだろう。ゆるぎない自信と、ときに非情とも思える厳しさが必要で、それこそ普通の人間の基準を超えた「強さ」が求められる。

これぞ『夜間飛行』の主役リヴィエールの役割なのだ。会社の支配人として、飛行士たちの命を危険にさらすのを承知で、夜間の郵便飛行を推し進める。人の使い方も、規則の運用も、言い訳を許さない冷徹さで行う。何のために? 「苦悩をも引きずっていく強い生活に向かって彼らを押しやらなければいけないのだ。これだけが意義のある生活だ」(p.40) 原文を確認したわけではないが、"生活" は恐らく "人生" と同じ単語だろう。

まさに超人なのである(なお、これがニーチェの "超人” と同じなのか今の私には分からないが、サン=テグジュペリはニーチェを愛読していたようだ)。たとえば、部下のロビノーに言う言葉、「部下の者を愛したまえ。ただ、それと彼らに知らさずに愛したまえ」(p.52) 見返りを期待しない無償の愛どころか、気付かれもしない愛。人は愛するとき、無意識にしろ愛され返すことを望むものではないだろうか。それを思うと、リヴィエールの説く愛は、人間の愛を超えた神の視点での愛に近い。

現実に命を懸けて夜空を駆ける飛行士たちも、神的な性格を帯びている。遥かな高みから大地を見下ろし、自らの操縦で高度や方向を変えられる彼らは、文字通り神の視点に近いものを獲得する。「彼は自家用の宇宙を再建し」(p.21)、「自分はブエノス・アイレスを領有した上で、またそれを放棄する」(p.75)といった表現がそれだ。サン=テグジュペリ自身、飛行士としてこのような感覚を覚えたのであろう。『南方郵便機』にも地上を征服するという言葉がよく出てくる。

否定的に見れば、リヴィエールは会社の目的を最優先し、人命を軽視する横暴な支配人だ。しかしこの物語での「夜間飛行」は、会社の目的である以上に人間が自然の力に立ち向かって征服すべき目標になっている。誰もがやがて老い、死んでいく。そして死後の生を信じることができない現代人にとって、生きることにどんな意味が見出せるのか。リヴィエールが本当に格闘しているのはこの問題である。「人間の生命には価値はないかもしれない。僕らは常に、何か人間の生命以上に価値のあるものが存在するかのように行為しているが、しからばそれはなんであろうか?」(p.103)と自問するリヴィエールは、「個人的な幸福よりは永続性のある救わるべきものが人生にあるかもしれない」(p.104)という信念のもとに生きている。だからこそリヴィエールは、「人間の死滅に対して戦っている」と描写されるのである(p.123)

こうした夜間飛行のための戦いを、リヴィエールは人類のための戦いと捉えていて、それは作者サン=テグジュペリも同様だと思う。しかし、この戦いにはやはりどこか男の戦いという面がある。操縦士の妻にとっては「彼女には意味さえもわからない戦い」(p.73)なのだ。しかし、作者は女性の描き方も驚くほどうまい。空と飛行に惹かれて子供のように出かける飛行士を見送る妻の心情。帰らぬ夫を案じて飛行場を訪れた彼女の起こした波紋。それに続くリヴィエールとのやり取り。「男のロマン」的な物語のなかで、彼女を否定せず、それどころか深い同情を寄せているのが伝わってくる。

命知らずの飛行野郎の世界を哲学的な深度をもって描いたことだけで十分すごいが、操縦士から見た世界の抒情的な描写、細やかな感受性、息づかいを感じさせる登場人物たち、などなど幾つもの魅力にあふれる作品。20世紀を代表する名作と言っていいと思う。

併録の『南方郵便機』も、負けず劣らず美しく、考えさせられる作品なのだが、構成が複雑(話がよく飛ぶ)でよく咀嚼できていないので、ここでは差し控える。ただ、絶対に読み直したいと思っていて、そのときに何か書くことを誓っておこう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: フランス文学
感想投稿日 : 2014年5月5日
読了日 : 2014年1月20日
本棚登録日 : 2014年2月11日

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