勇者たちへの伝言 いつの日か来た道 (ハルキ文庫 ま 14-1)

著者 :
  • 角川春樹事務所 (2015年11月14日発売)
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感想 : 70
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 不思議なお伽話のテイストの、それでいて濃厚に北朝鮮帰還者たちの過酷な人生が描かれていたり、読み始めの印象を次々と裏切る、ある意味雑な、ある意味ファンタジーなお話だった。

 主人公は放送作家の工藤正秋。サラリーマン人生も終盤、離婚歴あり、父親を若いころに亡くしている等々、自分と同世代ということもあり主人公への感情移入はスムーズだった。
 ある日、阪急線の車内アナウンスの「次は、、西宮北口」を「次は、、いつの日か来た道」と空耳したことで不思議な世界へと舞い込んでいく。
 小学生の頃に一度だけ父と一緒に行った西宮球場、初めての野球観戦、今はなき西宮球場跡地に建つショッピング・モールに展示されている球場ジオラマを見ているうちに、主人公の意識は「いつの日か来た道」へ飛んでゆく。40年前のあの日へと。
 そこからは、当時の父の想い出を共に辿り、さらには父が生前語らなかった自分が生まれる前の話を聞く。その話の中に出てくる父親の初恋の相手安子。40年前の夢の世界から舞い戻った主人公は、西宮球場を本拠地としてた阪急ブレーブスの選手たちのその後をたどる過程で、安子からの手紙を偶然にも手に入れる。

 次は、安子によるモノローグ(手紙の文章)が続く。内容は、在日だった安子、さらには他の北朝鮮への帰還者たちの壮絶な人生が綴られたものだった。この昭和34~58年まで行われた在日朝鮮人の北朝鮮への集団帰国(実に9万人以上!)。薔薇色の生活を約束する北朝鮮は単に労働力が欲しかったから。日本は生活保護者や犯罪率の高い在日朝鮮人を排除したいという思惑があり、いわば国家レベルの詐欺のようなものだ。悲しい歴史のヒトコマ。
 安子の夫となる同じく在日の北鮮帰還者の江藤も、西宮界隈で暮らしたことのある男で、その波瀾万丈の運命と、日本への郷愁が終盤まで綴られる。
 そして手紙の中には安子も不思議な体験(タイムスリップ?)を経て、「いつの日か来た道」、あの日、正秋と父親が初めて野球観戦した日に舞い戻っていたことが綴られていた。
 こうして、昭和44年の西宮球場の最終戦の「あの日」が時空の鍵を握る日時となって(映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で言うところの1985年10月25日みたいなものね)、不思議な縁(えにし)が語られていくという筋立てだ。

 まぁ、かなり漫画的なストーリー。あるいは、大人向けのお伽話というところか。タイムスリップ的に「あの日」に戻るところになんら理論的な説明も背景説明もない。そんな不思議なことが正秋と安子の間に起こり、若き日の父と安子の想い出とその後の人生の経糸が、昭和の時代と当時の出来事、様々な人間関係という横糸と交わり、「あの日」と野球と北朝鮮、そして阪急ブレーブス(と当時の選手たち)で着彩した大きな絵巻物になっているというお話だった。

 悪くないんだけど、タイムスリップで懐かしい昭和を振り返るテイストかと読み進めれば、話は一転北朝鮮に飛び、過酷な人生の中、思い出すのは西宮球場での野球の想い出。当時の選手たちの様子や引退後の人生なんかも主人公による職業(放送作家)を活かしての取材で描かれる。 取材に応じてくれた選手の一人がバルボンで、彼の故郷はキューバだったことから、キューバ革命の話も少し出てくるのみならず、安子の夫となる男性の父親(朝鮮人初の職業野球選手だった)はキューバにも暮らしたことがあるとかで、話がどんどんテンコ盛りだ。 細部をすっ飛ばしたあらすじを記しても、なかなか話の主眼が見えてこない様相。
 さらには、主人公が幼少期に見ていたTV番組のぬいぐるみショーの演者が、これも実在の在日の方だからと話に出てくるのだ。永山一夫さんという方で、北朝鮮に戻ってからは消息不明となっている(Wiki情報)。 その永山さんと思われる人物が、安子の脱北を助けるなんて登場のしかたは、なんだかもう、全部載せの上にアブラマシマシなしつこさを感じるほどだ(安子が北朝鮮でこっそり歌う想い出の日本歌謡が小畑実の『星影の小経』。小畑実も平壌出身の朝鮮人という、さらに味濃いめな演出)。

 「在日」朝鮮人の故郷を持たない(持てない)苦労や悲しみは伝わってくる。それと人生の終盤を迎えようとする主人公の思いがどうクロスするのかが、いまひとつ描き切れていなかった気がしてしかたがない。

 かつての阪急ブレーブスの名選手梶本投手の「負け越したことが誇り」という言葉、父とはじめて観戦したプロ野球の試合は「負けたけど、おもしろかった」という感想。主人公は「これからの人生もまた、そう言えるものであれば」と、さすが50に達したという境地を述べている。同世代としてその感慨は合点するところも多く、そうした振り返りを、西宮球場の想い出と、不思議なタイムスリップを通じて確認するというファンタジーであればストンと腑に落ちる。

 そこに濃厚に絡んでくる在日帰還者の人生、あるいはキューバから遥か遠く日本の地にやってきたバルボンの話。安子に「故郷とは何だったのでしょう」と語らせ、
「今になって私は思うのです。「故郷」とは、きっと追い求めるものではなく、ふりかえったときに、「ただそこにあるもの」なのかもしれません。」
というクダリや、バルボンが自分の人生を重ねて外国から来た若い選手に言う
「この国に長くいたいと思うんなら、比べるな。優劣を比べるな。(中略)比べて、あれがいやこれがいやと行動を起こさんより、今ある条件で最善の努力をすることや」
 これらの言葉は、故郷を離れた者の、達観した覚悟のようなものを提示しているのだろうが、主人公の人生折り返しの感慨とどう結びつくのかが稀薄だ。

 もう少し整理できたらよかったのかな。。。
 全体を通しては、今はなき「阪急ブレーブス」に生きる勇気をもらった様々な人々が、21世紀の今まで生きてこれたことへのささやかなエールなのだろう。生きてるだけで丸もうけ、でもないが、生きながらえた彼らこそが「勇者」なのだということか。
 だから、「いつの日か来た道」から改題された本書のタイトルが「勇者たちへの伝言」なのだ。”勇者たちの伝言”でも、”勇者たちからの伝言”でもなく、彼らや、その他の命を長らえたもの、非業の死を遂げたもの全ての”勇者たち”への伝言、エールなんだな(と理解しよう)。

 当時の阪急ブレーブスの応援団長の今坂喜好氏(実在の人物。今坂氏にも取材している)の言葉を胸に、彼らは今後の人生を全うしていくのだろう。

「健闘を祈るよ。おれはいつでも、勇者を応援しとる」

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説
感想投稿日 : 2017年8月3日
読了日 : 2017年8月2日
本棚登録日 : 2017年7月24日

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