去年いとうせいこう『鼻に挟み撃ち』を読んで「鼻」に興味が沸いたので今更この年になってゴーゴリの代表作を。
まずは「外套」。下級官吏が奮発してようやく誂えた外套を暴漢に奪われさらに取り戻すために奔走してエライ人に頼みにいったのに怒鳴られてびっくり、ショックのあまり寝込んで死んじゃうも化けて出て復讐を果たすという、一見どこに救いを見出せばいいかわからないほど悲しい話ながらなぜかコミカルなのがすごい。悲劇と喜劇って紙一重なのだよなと改めて思わされる。
「鼻」はなんともシュール・・・。文章だから成立しているけれど実際、礼服を着て紳士のようにふるまう鼻の姿というのはどう想像していいかわからない。ダリの絵みたいなのがなんとなく頭に浮かんだ。ある朝目覚めたら虫になってるのもイヤだけど、ある朝目覚めたら鼻がなくなっているのみならずその鼻が独立した人格として行動しているっていうのも相当イヤだなあ。
基本的にどちらの話も、見た目上大切なもの=外側を覆う外套も、顔の真ん中にある鼻も、他者からの第一印象を決定づける外見上の特徴(虚栄心の象徴的なもの?)が失われ、それを取り戻すために主人公がすったもんだ繰り広げ、ラストは一種のハッピーエンドという同じ構造。なぜかしら、ちょっと落語っぽいような印象を持ちました。個人的には奇想天外な「鼻」のほうが好き。
余談ですが前述いとうせいこうの小説内で、ドストエフスキーの「われわれはみなゴーゴリの『外套』から出てきた」という言葉について、『鼻』だって名作なのになぜ『外套』にしたのか、それはつまり「われわれはみなゴーゴリの『鼻』から出てきた」では「お前は鼻水か、ということになる」からじゃないかと書かれていましたがごもっとも(笑)
- 感想投稿日 : 2018年1月19日
- 読了日 : 2018年1月18日
- 本棚登録日 : 2018年1月16日
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