オランダ風説書: 「鎖国」日本に語られた「世界」 (中公新書 2047)

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  • 中央公論新社 (2010年3月1日発売)
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●構成
第一章 「通常の」風説書
第二章 貿易許可条件としての風説書
第三章 風説書の慣例化
第四章 脅威はカトリックから「西洋近代」へ
第五章 別段風説書
第六章 風説書の終焉
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 江戸時代の日本は一般に「鎖国」をしていたと言われているが、歴史的には決して国を鎖してはいない。長崎、対馬、薩摩、松前の「四つの口」によって規模は小さいがはっきりとした外国との交易がなされていた。そのうち長崎口は、オランダ及び唐人(中国を中心とし、東南アジアも含む)を相手に交易を行っていた。交易は単に商業上の目的に留まらず、情報収集の役目も果たしていた。日本人の外国への渡航、外国からの帰還、許可された場所と国以外の接触禁止が発令された1630年代以降、外国に関する情報収集はほぼ交易を通じて行う以外になかったのである。
 本書は、幕府の指示によりオランダ商館から毎年提出された「風説書」について、その性格や実態、取り扱われた情報や提出された情報の質量など、多岐にわたって論ずる。
 従来の研究史では「風説書」の作成にあたってオランダ商館から提出された原本から和訳されていたとされているが、著者はそうではなく、通常の「風説書」については原本は存在せず口頭による報告をオランダ通詞が聞き書きするものであったとする。また、この時にオランダ商館長と通詞が協議の末長崎奉行に報告する内容を恣意的に取捨選択していたこと、さらには通詞の独断で取捨選択も成されたことを明らかにする。
 また、「風説書」のオランダにとっての意味合いについて、著者は17世紀の段階では交易上競合する他国(カトリックの西洋諸国)の情報を日本に伝え、その結果他国を排除することを主眼に置いているとする。18世紀には、オランダはイギリスなどの勢力拡大を受けて低迷していたが、日本においては多大な信頼を得ており、「風説書」何を言っても日本が信じるような状態であった。19世紀にはオランダの衰退著しく、場合によっては虚偽の報告が必要なほどに苦慮していたのである。
 本書は江戸幕府の対外政策にとってどのような情報が必要だったのか、また当時西洋世界との唯一の窓であったオランダは日本に対して西洋をどのように伝えたのか、そしてそもそも「風説書」とは何であったのかについての、最新の研究結果である。
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【図書館】

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: その他人文系(外国)
感想投稿日 : 2010年8月11日
読了日 : 2010年8月11日
本棚登録日 : 2010年8月11日

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