世界の歴史が3時間で大つかみしてしまえる本 (アスカビジネス)

著者 :
  • 明日香出版社 (2009年8月14日発売)
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感想 : 6
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確か高校2年生のときに世界史の授業があったと思うのですが、定期考査前に一夜漬けをして試験範囲を覚えたことぐらいしか記憶に残っていない状態で恥ずかしいばかりです。

ローマ人の物語(文庫版)を読み終えて、ローマ帝国滅亡後の世界史について興味が出てきましたので、本書のような「通史本」を通して全体の流れを見ていきたいと思いました。

以下は気になったポイントです。

・アテネの民主政治と現代との相違は、奴隷や女性に参政権がなく、代議士制ではなく市民全員が参加する直接民主政であったこと(p29)

・ローマは各都市と個別に同盟を結び、それぞれ異なる権利や義務を与える分割統治をした、被支配都市の団結と反抗の予防であった(p33)

・広大な領土の維持は困難とみたデオドシウス帝は、395年の死に際して、帝国を東と西に分割して二人の子に分けることにした、これよりローマ帝国は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)と西ローマ帝国に分裂した(p37)

・325年のニケーア公会議では、神とキリストを同一視するアタナシウス派が正統とされ、キリストを人間とするアリウス派は異端とされ、431年のエフェソス会議ではアタナシウス説とする、三位一体説(神・イエス・精霊が同質)が正統とされた(p39)

・モンゴル騎兵一人が、5-8頭連れて行軍し、1日乗ると馬を代えて3-4日休ませるというやり方で速いスピードで移動した(p91)

・チンギス=ハンが建国したモンゴル帝国は、1310年までに4つのモンゴル民族の国が成立(キプチャク=ハン、オゴタイ=ハン、元、イル=ハン)した(p91)

・1299年に成立したオスマン帝国は、17世紀末まではヨーロッパにとって脅威であり続けるが、徐々に後退し、トルコ革命(1922)まで存続した(p101)

・西ローマ帝国のわずか2歳の皇帝(ロムルス)廃したオドアケル(傭兵隊長)は、東ローマ帝国の臣下となる形で476年に王国を建設した、これで西ローマ帝国は滅亡した(p107)

・フランク王国は、カール大帝死後に、843年のヴェルダン条約、870年のメルセン条約により、東フランク・西フランク・イタリアに分裂した(p111)

・西ヨーロッパでは、皇帝と教皇という2つの権力が存在したが、ビザンツ帝国では皇帝がギリシア正教会の首長も兼任(p116)

・最大規模の第3回十字軍(1189から)は、ドイツ、イギリス王、フランス王が参加した(p120)

・ジャンヌの登場により、フランス軍は攻勢に転じて、1453年イギリス軍はカレーを除いて全面撤退(p125)

・モンサンミシュエルは、陸続きの広大な森の中にあったが、一夜にして海に沈んで今の姿になった(p126)

・イタリアでルネッサンスが始まったのは、1)多くのパトロンがいた、2)ビザンツ帝国の崩壊で学者が移住、3)ローマ時代の遺跡が残っていた、ことによる(p130)

・1571年オスマントルコをレパントの戦いで破ったスペインは、太陽の沈まぬ国を実現した(p138)

・オランダの東インド会社は、イギリスの東インド会社の10倍の資本金があった(p139)

・1652年から起きたイギリス=オランダ戦争を通してイギリスの優位が確定、このときイギリスに割譲された北米のオランダ領ニューアムステルダムが、現在のニューヨーク(p146)

・コーヒーハウスの中には動植物を見世物とするところもあった、コーヒーハウスに行けない女性たちはティタイムを家庭で楽しんでいた(p149)

・1763年にフレンチ=インディアン戦争の結果、フランスはアメリカから去り、イギリスの後ろ盾が不要になった(p152)

・奴隷制を求める南部11州は、1861年4月、アメリカ合衆国からの離脱を宣言してアメリカ連合国を成立して、南北戦争に突入(p176)

・イギリスはアメリカ独立戦争で悪化した財政を立て直すために、イギリスの綿布をインドへ輸出、インドでつくったアヘンを清へ密輸、そのお金で清から輸入(茶、絹、陶磁器等)して銀の流出を防ぐ三角貿易を考え付いた(p180)

2011年12月18日作成

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本史・世界史
感想投稿日 : 2011年12月18日
読了日 : 2011年12月18日
本棚登録日 : 2011年12月18日

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