日本人ルーツの謎を解く: 縄文人は日本人と韓国人の祖先だった!

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  • 展転社 (2010年6月1日発売)
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私が高校生の頃(30年以上前)だと記憶していますが、父方の本家の方が先祖を調査して自費出版で本を出され、父からそれを贈呈されたのを覚えています。確か数十代先まで遡っていたと記憶していますが、その時、更に先祖を遡っていったらどんな人達に行きつくのだろうと思ったものです。

この本は、さらに長いスパン(今から数千年前の縄文時代の頃まで)で日本人のルーツについて書かれています。現代ではDNA分析によって詳細に解明されていて、2002年には世界中の学者が集まって、男性の系統は全部で18(153の亜型)あると定められた(p250)そうです。

また、この本の結論である日本人のルーツは、著者は極めて変哲のないものと称していますが、「1万年以上にわたり日本列島の主人公であり続けた縄文時代からの人」(p262)のようです。それらの証明と他の説(弥生時代に多くの渡来人がやってきた等)が異なる解説をしています。合わせて、日本人のルーツは、近隣諸国とも異なるというものでした。

日本には昔からの遺跡もまだ大事に保管されていると思いますので、機会があれば、そこに行って、私の大先輩である縄文人に対して思いを巡らせてみたいものだと思いました。特に縄文遺跡が、九州(佐賀、鹿児島)だけでなく、北海道や、小笠原諸島(三宅島・八丈島)にある(p30、58)という事実は驚きでした。

以下は気になったポイントです。

・佐賀県の菜畑遺跡の発見(1980)が画期的だったのは、日本最古の水田跡であった、それまでの朝鮮半島からやってきた渡来民によって始まる定説が覆された。縄文人由来であった(p26)

・世界の四大文明よりも数千年早い 9500年前に花開いた九州の上野原遺跡からは、弥生土器と見紛う、約7500年前の土器も発掘された、縄文時代の人達は世界の最先端を行っていた(p28)

・平成12年には、北海道の垣の島B遺跡から、約9000年前の漆器が発見された、中国よりも2000年も早い(p29)

・約6000年前の八丈島yは三宅島の縄文遺跡から、黒曜石が発掘されている(p30)

・日本では 6000年前には陸稲が、3000年前には水田稲作が行われていて、両種は並行栽培された(p62)

・1998年、青森県大平山元遺跡の無文土器の炭素14年代が、13000年前、暦年校正すると 16000年前になると発表された、この測定法は世界標準(p77)

・弥生時代の渡来人について、その数は、多く見積もって数百人で数千人、一年でせいぜい数十人(p116)

・日本で最も古く、かつ信頼性の高い人口データは、奈良時代の人口量で、国別租税高から推定されたもので、八世紀中頃(750年)で、540万人。近畿が最も多く121万(p124)

・ミトコンドリアDNA(mDNA)は、女系遺伝(母親から女性へ伝えられる)でありこれを辿るとアフリカで発生した祖先へ行きつく、男性のルーツはY染色体の分析で解明される(p170)

・300年後の渡来人比率を80%にするために、渡来人の増加率を2.9%、縄文人を0.1%と仮定するひつようがあった、しかしこの増加率では弥生時代で1億人、奈良時代では30億人となる(p215)

・結論としては、現代日本人女性の80%以上は、縄文以来の mDNAを引き継いでいる、また関東縄文人と渡来系弥生人のmDNAの違いは、単なる地域差である(p247,261)

2013年8月11日作成

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本
感想投稿日 : 2013年8月11日
読了日 : 2013年8月1日
本棚登録日 : 2013年8月1日

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