最初に、琳派の定義というところにたちかえります。俵屋宗達と尾形光琳をひとつの派という風に定義するかどうかということ。
私なりのこの本の理解は、「光琳は、宗達の絵にあったモチーフを見て利用したけれども、その画風・技法はとりいれていないという考え方をしたほうがよい。」ということになるのでしょうか。
個人の技量によって出来上がる作品は大きく違うのだから、ひとつにくくると語りきれないものがあるのは仕方ないように思います。たとえ、慶派であっても、運慶と快慶の作風が全く似ても似つかないように。更には、俵屋宗達と尾形光琳は、同じ工房でもなければ、師弟関係もないのだから、琳派と呼ぶのははばかられるというロジックはわからなくもないです。
あとからその名前がつけられたということは本質的な議論ではないかもしれませんが。抱一は宗達作品をみたことがないかとも考えられ、宗達->光琳->抱一は一本の矢印では語れないというのもうなづけます。
そういった分類の話は、美術史としてどう定義するのが妥当かという難しい問題をからませていそうですね。なので、私は、「そういう議論があるのだなぁ。」ということも知識の引出しにおいておくことにします。
この本を読んでいて、宗達の水墨画をもういちどみたときに、「たらしこみ」の技法について、光の表現という言葉になっていたのが印象的でした。もう一度、宗達水墨画もっとみてみたくなってきました。
シリーズ「知られざる在外秘宝」 プロローグ 「名品100万点の流転」をみながら読了。丁度、著者もでていらっしゃるではないですか。
明日からシリーズで始まるんですね。
http://www.nhk.or.jp/bs/temporary/hihou.html
http://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20110508-10-15082
- 感想投稿日 : 2011年5月8日
- 読了日 : 2011年5月8日
- 本棚登録日 : 2011年5月8日
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