生麦事件

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  • 新潮社 (1998年9月1日発売)
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吉村昭 「 生麦事件 」


生麦事件から明治維新(日本国建国)直前までの 歴史小説。最後は 維新の英雄が総出演。

攘夷思想が 外国との戦争を通して、開国思想に転換し、日本建国に至ったとする物語。生麦事件は 外国との戦争(日本建国)のキッカケとなったとする論調

1862年 島津久光の大名行列→生麦事件
*前藩主で兄の斉彬の遺言(朝廷の権力を拡大し、公武合体による政治)を実現するため 朝廷へ
*リチャードソンの馬が行列に入る(非礼の行為)→奈良原がリチャードソンを斬る→海江田がとどめを刺す

ニール(陸軍中佐)/イギリス公使館の代理公使
*軍事行動をすれば →日本の攘夷論者が蜂起→全面戦争となる〜これまで維持してきた秩序が破壊される
*下手人処刑、久光の首、賠償金を 薩摩藩に求めた→薩英戦争へ

阿部正外/外国人との事務折衝(神奈川奉行)
*国際感覚の欠如により生麦事件は起きた〜大名行列の先を横切った者は斬られるのが習いは 外国人には通用しない
*事件の根底にあるのは 薩摩藩の大藩の傲慢

毛利敬親(長州藩主)が京へ
*久光の公武合体とは反する〜久光が鹿児島に戻った後は 京は長州藩士により支配→攘夷決行を幕府が命じるように 朝廷に建議

1863年 下関戦争
*ニール→オールコックへ公使変更
*長州の敗戦→和議し、幕府が賠償金を支払

1863年 薩英戦争
*薩摩藩は 生麦事件の責任は幕府にあるとした〜幕府は外国と条約を結ぶ際に国法(国主の威厳を保つべく)を記載しなかったため
*引き分け→イギリスが鹿児島から撤退(攘夷実行)→久光は攘夷に批判的→和議へ=生麦事件の解決→攘夷思想から開国やむなしへ
*薩摩藩は 賠償金の支払とともに イギリス軍艦の購入を申し入れ

「私の言っていることは明白である。それがわからぬのは、あなたの学識が浅く、理解力が乏しいため」

薩摩藩と長州藩の対立と融和
*公武合体を進める薩摩藩 と 攘夷実行を唱える長州藩の対立
*薩摩藩は 薩英戦争の引き分けにより 攘夷の愚かさを知る→列強と和親し、軍備強化
*長州藩は 下関戦争の敗北後、西郷隆盛の寛大な処置により、薩摩藩と融和→倒幕、開国、明治維新へ



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感想投稿日 : 2019年5月20日
読了日 : 2019年5月23日
本棚登録日 : 2019年5月20日

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