ロスノフスキ家の娘 下 (新潮文庫 ア 5-6)

  • 新潮社 (1983年2月1日発売)
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感想 : 22
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先日『女は「政治」に向かないの?』(秋山訓子著/講談社)という本を読んでいたら、野田聖子の章で彼女が政界転身を決める頃に読んでいたのが『ロスノフスキ家の娘』だったと書いてあり、どんな本なんだろうと読んでみた。
1930年代に移民でホテル王として成功しつつあった家に生まれた女性・フロレンティナの人生が90年代半ばまで延々と綴られていく。この小説が世に出たのが1980年代前半でありながら、過去から1996年くらいまでを描くというちょっと不思議な感じ。
フロレンティナは人並み以上のお金にも美貌にも恵まれていたし、努力もして才媛として成長する。ちょっとした失敗があったことも書いているけど、それも人として成長する肥やしにできるようなこと。それらがなければただの人間離れした「すごい人」という印象になっていただろう。
次から次へと進んでいく彼女の人生は、ほぼ順風満帆でありながら面白く読み進めることができる。アメリカにはこういう一人の人物の年代記のような小説がけっこうある感じがする。翻って日本では、歴史上とか実在の人物を題材にしたもの以外ではあんまりない気がする。ちんまりとした私小説びいきの文学界の風潮がこんなところにも影響しているのかもしれない。
最初に戻って、なぜ政治家・野田聖子とこの本が関係があるかというと、フロレンティナは自分でアパレルの会社をやり実家のホテルの経営にも大きく関わり、その後、下院議員、上院議員となり最後の最後には大統領へと昇り詰めるから。それが1996年の選挙の後のこと。その就任のしかたはやはりアメリカの有権者たちが女性大統領を自らの投票で選ぶのは非現実だという作者の見方が反映されてのことだろうか。選挙で女性大統領が選ばれるというドラマチックなストーリーでいいじゃないかと思う。だが、この小説では20世紀のうちにフロレンティナという女性大統領が誕生するわけだけど、現実は未だ誕生していないことを考えると作者の見方が反映されたほうがリアリティありということか。
フロレンティナは気持ちのよい女性に描かれているが、人生をともにした夫のリチャード、幼なじみで長らく彼女を友人として支え続けたエドワードなど、誠意と理解のある男性がいるのもいい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2018年9月16日
読了日 : 2018年9月13日
本棚登録日 : 2018年9月13日

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