ミステリー部分が盛り上がってきた下巻
それとともに明らかにされる閉ざされた修道院の内部事情
今回も読者の前に立ちはだかる難解な問題が…
神学論争ともいえる、清貧論争、笑いをめぐる論争、異端論争…
これを全部避けてしまうとただのミステリー小説になってしまい
それはそれで充分面白いのだが、それではおそらくエーコ様が悲しむだろう…
彼が主張したいのはむしろこちら側だから…
亡くなった修道士をめぐるキーとなる1冊の秘密の本
それは「笑いの書」とされるアリストテレスの幻の書
アリストテレスの思想はこの当時、正当なものとして認識されていた
何が問題かというと、「笑い」を認めるアリストテレスの書が発見されると
「笑わないこと」に精神の高貴さを認めるキリスト教神学の立場が敗北となってしまう
信仰の妨げになるという考えがあった
そのためこの書をめぐり論争が繰り広げられるのだった
そして清貧と現実問題としての妥協点
上巻でチラッと述べた三つの修道会(ベネディクト会、フランチェスコ会、ドミニコ会)
大元は三会派とも清貧を求める戒律の元で神の真理を追求しようという姿勢だったのが、現実問題運営には財力、経済力が必要となってくる
清貧と現実問題としての妥協点をどうするか…
ここに権力争いや、それぞれの思惑が乗っかり非常にややこしい
そしてヨハネス22世が新教皇になると、教皇服従が第一とし、キリストの清貧思想の放棄を強要
これに従わないものを異端とし始めた
この三会派のハチャメチャ論争は見ものなのだが、三会派+ヨハネス22世のそれぞれの関係性と
詳細がわからないとなんだかワチャワチャした茶番シーンで終わってしまう
「異端論争」本来は正当な思想や秩序から外れているのが異端であるのだが…
誰の目からみてどの立場からみて異端か…
判断する側により異なってくるのがわかる
また理論づけしてでっちあげる異端狩りもずいぶんと簡単に行われていたのだろう
実際ウィリアムが異端審問官から退官したのもこういった理由から異端を決定づけられなくなったからである
「言葉」だけが上滑りして中身を伴わない実態にエーコ様は物申していらっしゃるのであろう
異端を排除していくシステムの恐ろしさ
記号や言葉だけを頼りに結論を出すことの恐ろしさ…
こういった批判も伝わってくる
レミージョ(厨房係)の告白が物語っているもの
異端とされる立場の人生が実に生々しかった
平信徒の純粋な信仰と行動が、歪んでいっていく様…
ハッキリいってミステリー部分よりこちらの方が恐ろしかった
そして最後…
こうきたか!という結末(ええ、もちろんネタバレはしませんよ)
やはりダンテ「神曲」をちゃんと読みたいなぁ
「デカメロン」、「ヨハネの黙示録」…
本が本を呼んでしまった(笑)
「モーロ事件」、「鉛の時代」など、政治情勢を隠喩している
言葉狩りや言論弾圧…
こういった背景が深いため、この辺りの知識があるとなお理解が深まるだろう
兎にも角にも考えれば考えるほど
エーコ様の膨大なる知識に触れれば触れるほど考えることが増え、
知識欲が刺激され続けるのだが
思慮深く生きることを教えられる
(本に誘発剤でも塗布してあるのかしら?)
ウィリアムがアドソに語ることばがそのまま読者に突き刺さる
本を閉じていても意味や意図を考えてしまう
わからなくても考えることが大切だと
ウィリアムがアドソに語るように
エーコ様が読者に語りかけているのでは?
偉大な書物を前に稚拙なレビューしか書けないことの悔しさもどかしさは久しぶりに味わった
と、同時に得た満足度もなかなかである
- 感想投稿日 : 2023年4月11日
- 読了日 : 2023年4月11日
- 本棚登録日 : 2023年4月11日
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