小学生でも中学生でも高校生でも就職して間もない頃でもなく、病を経た今読んだこらこそ、その河の“深さ”を、感じられたのだと思う。
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「わたし、必ず生まれ変わるから…たから、わたしを見つけて…約束よ…」
磯辺の妻は、癌を患い、最期の時にそう言い残してこの世を去った。
その妻の言葉を胸に、磯辺はインドツアーへと参加する。
そのツアーには、人生への虚無感が常に拭えない美津子、結核による過酷な闘病を経験した童話作家の沼田、戦時中のビルマから生き残った木口も参加していた。
一方、キリストの愛に感銘を受け、神父になるために修行をつんでいた大津だったが、彼の考え方は基督協会から理解されず、異端視されていた。
そして大津もまた、インドの“深い河”のそばで、生きていた…
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本書が最初に出版されたのは1993年。
その頃のわたしは、小学生でした。
あれから約30年の時が経ちましたが、「深い河」は小学生でも中学生でもなく、今のわたしだからこそ、こんなにも響いたのだと思います。
小説の中では磯辺、沼田、木口、美津子、そして間接的に大津の半生が書かれています。
それぞれの命に刻まれてしまった、深い苦しみは壮絶でありましたが、唯一、美津子の悩みだけはひどく抽象的に感じ、悩みそのものが今ひとつ理解できませんでした。
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「日本人から見ると、お世辞にも清流とはいえません。(中略)しかし、奇麗なことと聖なることとは、この国では違うんです。河は印度人には聖なんです。だから沐浴するんです」(174ページ)
「さまざまな宗教があるが、それらはみな同一の地点に集り通ずる様々な道である。同じ目的地に到達する限り、我々がそれぞれ異った道をたどろうとかまわないではないか」(310ページ)
「死者の灰を含んだ水がそのままこちらに流れてくるのに、誰もがそれを不思議にも不快にも思わない。生と死とがこの河では背中をあわせて共存している。」(341ページ)
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人は生まれ、生きて必ず死ぬ。
ならば、死への道はどこをたどろうと、かまわないでないか。
引用した310ページの言葉は、わたしにはこんな風に聞こえました。
逆に言えば、人の数だけ人生があるのが当たり前であり、その人生に優劣や勝ち負けをつけ、正しいとか間違っているという評価をくだすのは、おかしい。
そう思う一方で、木口の戦争体験のくだりは、言葉では言い表せないほどの壮絶なものであり、そこでの価値観は、何が正しくて何が間違っているのかすら考えられないほど、生と死がそこにただ横たわった世界を読むことで、人を傷つけてはならない、という理が、戦争の前に脆くもくずれさる様子に、言いようのない気持ちになりました。
ひとりひとりの抱える生きる苦しさを、深い河は何も言わず、ただ生と死が同時におなじ時を流れていくのを、ただそのままに受け入れています。
宗教がどうだとか、どう生きたかとか、何を悩んでいるのかとか、そんなことを河は一切問いかけません。
そんなことを問いかけているのは、人間だけなんだなあと、おもいました。
- 感想投稿日 : 2021年9月21日
- 読了日 : 2021年9月17日
- 本棚登録日 : 2021年9月11日
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