ピアニシモ (集英社文庫)

著者 :
  • 集英社 (1992年5月20日発売)
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前回読んだ「海辺のカフカ」の主人公「カフカ」は15歳で、自分の弱さゆえにもう一人の自分「カラスと呼ばれる少年」を創り出した。
が、昔これとそっくりな小説があったのを思い出した。
主人公の年齢も、“もう一人の自分”という設定も同じだが、着地地点が全然違うなぁと思ったので、再読です。


『ピアニシモ』 辻仁成 (集英社文庫)


主人公の氏家透は中学三年生。
父親の転勤で転校を繰り返す“転校ジプシー”である。
転校するたびクラスに馴染めず孤立をし、どんどん自分の殻に閉じこもっていった。
彼は「ヒカル」という存在を創りだし、常に行動をともにすることで、何とかこの世界を泳いでいけた。

新しい学校で透はいじめにあう。
無感情で無表情なクラスメイトたち。
クラスの波長に常に神経を集中させていなければ生きていくことができない統一国家のような集団。
この集団のバランスを保つためには常に生贄が必要であり、当然のように透がその標的となった。

透の家は機能不全家庭である。
何か月も顔を見ない父親、ヒステリックなぐらい息子を溺愛し、新興宗教にのめり込む母親。
父親のことを「あの人」と言い、母親を「あんた」と呼ぶ。
月々の小遣いは銀行に振り込まれ、テーブルの上のごはんは千円札に変わった。

そして「ヒカル」の存在。
自分にだけ見えるもう一人の自分。
父から逃げ、母をいびり、ヒカルとともに世の中の秩序に石を投げる。

「うるせえな。死にてえのかよ、ババア。」

「ニュースでやっていたように、バットでぶっ殺してやろうか?」

成長の過程、というにはあまりにも苦しい道を、親子共々歩いているように見える。
でも、不謹慎を承知で言うと、正直私はここまで親に気持ちをぶつけられるこの子がちょっと羨ましいなと思う。

後半、透がヒカルに「消えろ」というくだりがある。
乱闘事件を起こし、サキに裏切られ、雨の中、棒切れを振り回し喚き散らす。
ヒカルめがけて何度も襲いかかる。

「消えろ、消えろ、消えろ」

そしてヒカルは消えた。
それが、一人の少年が大人になった瞬間だった。

「カフカ」と「透」、「カラスと呼ばれる少年」と「ヒカル」。
違いは何なのだろう。

「海辺のカフカ」も「ピアニシモ」も同じ思春期の少年の成長譚なのだが、「ピアニシモ」を読むと「海辺のカフカ」が綺麗に見える。
「海辺のカフカ」はカフカの成長した姿が見えず、結果が出ないままフェイドアウトしている。

一方、これが作者の処女作だという理由もあるが、「ピアニシモ」はものすごく荒っぽい。
怪我をしまくって、血を流しまくって、地べたを這いずって、やっと雨上がりを迎える。

居眠りをする母にカーディガンを掛けてやり、傷だらけの手でその背中にそっと触る透の姿は、これまでハラハラして読み進んできた読者をホッとさせる。
本当によかった。
でも、電話ボックスは壊しちゃいかんと思うぞ。
それから野良犬も殴っちゃだめだよ。

ところで最近、同作者の「ピアニシモ・ピアニシモ」という本が出たのだが、それの紹介文の、出版社か何かの宣伝文句を見て唖然とした。

「デビュー作『ピアニシモ』から17年、あの透とヒカルが帰ってきました」

「透とヒカルの愛の冒険」

ぬぁ・ん・じゃ・そりゃーーー!!!

内容は、

「地下に出現したもう一つの中学校に潜む得体の知れない殺人者と闘う」

とかそんなんらしい。
どう考えても続編じゃないよね。
いや、闇の殺人者と闘うのはいいわよ。そういう小説があっても別にいいんだけどさ。
それがわざわざ「透とヒカル」である必要があるのか?
読んでいないので何とも言えないけれど、透とヒカルはそのままそっとしておいてほしかった気がするなぁ。
わがままかなぁ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 辻仁成
感想投稿日 : 2022年3月13日
読了日 : 2008年1月25日
本棚登録日 : 2022年3月13日

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