十二人の手紙 改版 (中公文庫 い 35-20)

著者 :
  • 中央公論新社 (2009年1月25日発売)
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感想 : 299

面白かったなぁ。
まるで戯曲を読んでいるかのような臨場感に、引きずられるように読んだ。


『十二人の手紙』 井上ひさし (中公文庫)


この小説(と言っていいのか)は、十二人の人物の“手紙”からできている。

手紙だから何かを告白するような内省的な話だろうと、いささか引き気味に読み始めたが、「プロローグ 悪魔」でいきなりカウンターパンチを食らった。

何だこれは。
すごい。


実家を離れ上京する娘が、両親に宛てて書いた希望に満ちた決意表明の手紙だったはずなのに……

一見ただの手紙文の羅列だが、そこから切り出される書き手・柏木幸子の生い立ちや人となり、坂を転がるように身を落としていく経過がすさまじい。

「悪魔」と呼ばれた彼女が、最後にとった悲しい行動とは。

読みながら、うわぁ……と打ちのめされ、さらに幸子の最後の手紙の中の「弘の行方は探さないでください。」のくだりでゾッとした。
これが「悪魔」の本当の意味だったのかもしれない。


「葬送歌」「ペンフレンド」「鍵」は、いくらでも嘘をつける手紙というものを活用した騙し合いが面白い。

「隣からの声」「シンデレラの死」は、ものすごいどんでん返しでびっくりするが、その奥にはメンタルの問題が隠されていて、考えさせられる。


「赤い手」は、いちばん衝撃的で心に刺さった話だ。
手法に驚く。

私生児・前沢良子の一生が、「出生届」から始まる公式の文書のみで描かれているのは圧巻だ。

母の「死亡届」、養護施設への「転入届」、修道女になるための「洗礼証明書」。

その後は、「婚姻届」「妊娠届出書」「罹火災証明書」「死産証書」「死胎火葬許可申請書」、夫の失踪による「家出人捜索願」、キャバレー勤務の「誓約書」、そして本人の「死亡届」。

年月日や住所、本籍地や申請者名等から、彼女のみならず彼女の周りにいた人々の顔までが見えるようだ。

無機質な一つ一つの項目が、前沢良子の人生を作っていることに胸を打たれる。

どう見ても不幸だった彼女の人生の最期に置かれた本人肉筆の手紙と、それら公文書とのコントラストが、一層悲しさを際立たせていると思った。


最終章「エピローグ 人質」は、「プロローグ 悪魔」の、言ってみれば“返信”だ。

ちょっとネタバレになるが、プロローグで柏木幸子の手紙に登場する弟の弘が、人質をとってホテルの一室に立てこもる、という話だ。

弘を探さないで、と書いた幸子。
こう来たか!と思った。


面白いのは、なんとこれまで読んできた物語の登場人物、つまり手紙の差出人や受取人が、人質として再登場してくることだ。

彼らの“その後”が分かることで、それぞれの話が収まるところに収まっていた、という仕掛けが施されているのはすごい。
書かれていること以上の効果を生んでいるのだ。

しかもですよ。
この話さえも“手紙”のみで構成されているという徹底ぶり。
人質立てこもり事件なのに……!


人質たちが犯人の目を盗んでトイレの窓から投げ落とすメモが事件の進行を語り、探偵役の鹿見木堂は聾唖者のため筆談で推理する。
なるほど……
手紙だけでいけるわ……

この鹿見木堂さん、私は結構好きだ。
本編「鍵」に登場する偏屈な画家なのだが、絵のために意地でも山を下りない彼が、まんまと奥さんの作戦にはまって山を下りちゃうところが微笑ましい。


手紙というものは、きちんとご挨拶をしたりお礼を言ったり、または近況を報告したり状況を説明したり、時には心の内を吐露したりといった、真面目に向き合うべきものだと思っていたが、まあ、なんと、自由で豪快で愉快なアイテムなんだろう。
もう、何でもありじゃないか。


人の手紙を読む、という背徳感。
自分だけに打ち明けられているような親密感。
一通目と二通目、二通目と三通目の間の時間が作る人生ドラマの豊かさ。

この、悲しみとおかしみが同居しているような読後感は、今まであまり経験がない。

四十年ほど前に書かれた作品なので、若い頃を思い出したりもし、ノスタルジックな気分に浸りつつ読み終えた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 井上ひさし
感想投稿日 : 2022年8月29日
読了日 : 2020年10月10日
本棚登録日 : 2022年8月29日

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