宮台教授の就活原論

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  • 太田出版 (2011年9月17日発売)
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価値を訴求し、市場を啓発せよ。

* 共同体の空洞化を解決するには、何よりも就業時間を短くすること。→就業時間の短さ(ワークライフバランス)
* 共同体空洞化の歴史をふまえて、善いことをして儲ける。共同体空洞化を食い止め、相互扶助を再生する。

* 人々のニーズに応じてはいけない。ニーズに応じるとマーケットの民度がますます下がる。価値を訴えて新しいニーズをつくり出せ。
* これから生き残るのは社会的に正しい企業だけ/〈よさ〉から〈ただしさ〉へのコミュニケーションシフト/「社会的な正しさ」がカッコイイという訴求

p.34 適応力
自己発見シートを埋めて「自分はこういう人間だから、こういう会社でこういう仕事をして自己実現したい」という就活はナンセンス。「こういう会社」も「こういう仕事」も随時変わり得ると腹を括るべきなのです。

p.44 ポストフォード主義:「仕事での自己実現」が可能な人々と、その競争に敗れた人々。後者を「良き消費者」として養成。

p.51- 「仕事=人生」にはできない/企業はうまく生きる人間を求め始めている
〈システム〉でうまく生きることと、〈生活世界」でまともに生きること。

p.79 「いい学校、いい会社、いい人生」を鵜呑みにして、信頼できる親友や性愛パートナーを作るための修行をないがしろにしてまで勉強に打ち込むならば、皆さんは、仕事での成功も、幸せな人生も、望めなくなります。

p.82 共同体の空洞化を解決するには、何よりも就業時間を短くすること。

p.87 「経済回って社会回らず」は経済を破壊し、「仕事回って家庭回らず」は仕事を破壊するのです。

p.89
〈任せて文句垂れる社会〉から〈引き受けて考える社会へ〉
〈空気に縛られる社会〉から〈知識を尊重する社会〉へ
〈行政に従って褒美をもらう社会〉から〈善いことをすると儲かる社会〉へ
〈国家と市場に依存する社会〉から〈共同体自治で自律する社会〉へ
〈便利と快適を追求する社会〉から〈幸福と尊厳を追求する社会〉へ

p.96 鬱陶しさは包摂と表裏一体です。鬱陶しさだけ切り離して、子供が世話になったりいろんな当番を代わってもらう恩恵だけを享受できません。

p.97 ホームベースの基礎は「我々」
絆を与える近接的な共同体は、多かれ少なかれ、何かをシェアしているという感覚に支えられます。シェアされるものは、血縁的儀礼だったり、宗教的戒律だったり、職場の時間と空間だったりします。シェアしているという感覚が情緒的アタッチメントを与えます。
※帰還場所=出撃基地(ホームベース)

p.98 シェア
一見したところ典型家族とかけ離れていても、長らく近しくあり続ける近接的共同体のうち、とりわけ「成人の感情的回復」機能と「子供の一次的社会化」機能を担うユニットなら、家族と見做すことが大切です。今後は変形家族こそが大切になります。
 僕の周りで実際に目立ってきましたが、自分と同じ価値観を持つ人たちが多い地域に移り住んだり、自分と同じ価値観を持つ仲間同士が特定の地域やマンションに集住して、子育てや弱者の介護を相互扶助する、といった動きも、一部で確実に進みつつあります。
 まだ子供のいない若者たちが、一軒家を借り切って集住するシェアハウスの動きも、ここ数年進みつつあります。この動きが、趣味の相互扶助集団を超えて、絆の相互扶助集団につながるか否かが、間もなく彼らが子供を持つようになった段階で試されます。

p.100 これからの企業人や職業人はこうした共同体空洞化の歴史に無頓着であるわけには行きません。先に〈善いことをすると儲かる社会〉が大切だと言いました。善いことをして儲けましょう。善いことの主軸は、共同体空洞化を食い止め、相互扶助を再生することです。
 場所と人との間の入替可能な関係を食い止めましょう。そのためには、場所が快適で便利であればOKという発想を捨てるべきです。快適で便利な場所はどこにだってあり得る入替可能なものですが、入替不可能な関係なくして幸福と尊厳はあり得ないからです。

就職課が学生を迷わせた。適職幻想。かつては「先輩のコネ」が当たり前だった。情報過多が生んだ「適職幻想スパイラル」。選択肢は多ければ多いほどよいという勘違い。
→「人々のニーズに応じてはいけない。ニーズに応じるとマーケットの民度がますます下がる。価値を訴えて新しいニーズをつくり出せ」(p.112) ※市場の啓発


p.119 最終目的を絶えず思い出すことは、手段的行為が弛緩した繰り返し(ルーティン)になるのを妨げ、その手段的行為をすることが喜びになります。最終目的の達成が大いなる喜びであれば、認知的整合化のメカニズムによって、それに貢献する営みが喜びになります。
(…)
 だから、大学生の時間は、最終目的に紐付けられた優先順位(プライオリティ)を手にするための試行錯誤のために使うべきです。就職時点で優先順位がまだ分からないのでは、手段的行為にいそしむ喜びも、手段的行為としての相対化も、利用できないということです。
※ゲストティーチャー、ロールモデル、スゴイ奴、感染(ミメーシス)
→最終目的&優先順位を巡る試行錯誤は、「スゴイ奴」と出会って感染(ミメーシス)しては卒業する経験が、最も効果的です。

p.128 大学生にもなってBtoB企業とBtoC企業の識別もできず、消費者広告に登場するのがBtoCの企業ばかりであることを知らないというのは、頭が悪すぎます。(…)皆さんが就職活動をする際にも、コミュニティバンクの経営方針のように、儲けと同程度かそれ以上に公共性を評価する態度があっても良いでしょう。しかしその際にも、企業の公共的活動がどれだけ持続可能かを評価するには、財務諸表の検討が欠かせません。
※学生に読み解けるのかという問題。会計は恣意的であって経営状態の悪さを隠すもの。

p.130 やはり、企業内部の人の話を聞いてほしいのです。そうすることで、ものづくりやサービス提供についての戦略や同業他社に負けないための狡猾さを、徹底的に観察してほしいのです。アウトプットではなく、インプットにこそ注目して欲しいと思います。
 とりわけ重要なのは、木で鼻をくくったような公式見解ではなく、ハイコンテクストな情報あるいはパーソナル情報です。人の言うことは分脈次第で変わるものですが、分脈次第で言うことがどう変わるかを通じて、それを左右する不変更を探り出すのです。

p.131 どんなコンテンツについても必ず、視座・視点・視野の恣意性があります。恣意性とは、本来別様の可能性があるのに現実にはソレでしかないという状態です。視座・視点・視野の恣意性に気づき、なぜソレが選択されているかを問えば、膨大な情報が得られます。

p.132 中小企業でこそ「自己実現」ができる>「仕事での自己実現」を目指している場合は、こうした「全体性からの疎外」は良くありません。全体性が見える中小企業がおすすめです。

p.138 これから生き残るのは社会的に正しい企業だけ
 先進各国が軒並みそうした方向にシフトしつつある以上、遅かれ早かれどのみち日本もシフトします。もし〈善いことをすると儲かる社会〉に変われなければ、日本は遠からず三等国以下に落ちぶれ、自殺や犯罪などで人が死にまくる「終わった社会」になります。
 これは、道徳的な問題というよりも構造的な問題です。グローバル化がもたらす構造的変化ゆえに、将来に生き残るのは社会的に正しい企業だけになるのです。社会的に正しい事業に携わることは生き甲斐を与え、親や周囲からの承認にさえ結びつくようになります。

p.138-139 〈よさ〉から〈ただしさ〉へのコミュニケーションシフト
 社会システムの持続可能性(サステナビリティ)とは別に、分断された島宇宙同士をブリッジするというコミュニケーション上の要請から、〈ただしさ〉が〈よさ〉に対して持つ比重が高くなってきました。「親や周囲からの承認にさえ結びつく」と言った所以です。
(…)
 こうした市場における消費傾向を観察する限り、「社会的な正しさ」を付加価値とするマーケティング戦略は、今後ますます有力になると思われます。これは法令遵守(コンプライアンス)などというケチな話ではなく、積極的に市場に打って出るべき戦略なのです。

p.139-141 「社会的な正しさ」がカッコイイという訴求
 小林秀雄は「様々なる意匠」と表現しました。天皇主義も意匠、民主主義も意匠、意匠と戯れる営みは永久に不滅だというわけです。意匠をモードと翻訳するとピッタリきます。日本は「空気に縛られてモードが定まる/変化する社会」つまり〈モードの帝国〉です。
 震災後、アーティストなどを中心に「ちゃらちゃらした流行の時代は終わった、これからは倫理の時代だ」などと言われています。これを正しく言い換えると、「ちゃらちゃらした流行が流行する時代」から「倫理が流行する時代」へ、ということになります。
 これを否定的に捉えすぎないようにしましょう。日本は〈モードの帝国〉を簡単にやめられません。唯一絶対神の不在という宗教社会学的な構造に結びついているからです。であれば、かつてGHQがそうしたように〈モードの帝国〉を戦略的に利用するべきです。
 名著『菊と刀』でルール・ベネディクトが欧米の「罪の文化」に日本の「恥の文化」を対置しました。真意は、日本における「社会的な正しさ」は、イデオロギー(神を気遣う内的確かさ)というよりモード(人目を気遣う外的確かさ)に過ぎないという指摘です。
 であれば、単に“人々がまだ気づいていないこんな「社会的正しさ」がある”という訴求だけではなく、“その「社会的な正しさ」は古くてダサイ、これからはこの「社会的な正しさ」がカッコイイ”という訴求を、マーケティング戦略として利用できるはずなのです。

p.141-142 「食の安全」という正しさを商業化した「大地を守る会」
 これはブランディングの成功です。「安全・安心なものを追求することがカッコイイ」という方向に市場をオーガナイズ(オルグ!)しました。そう、藤田和芳社長は、大学生の時代に全共闘運動に関わっていらっしゃった。まさに市場をオルグしたわけです。

p.144 内定を取りまくるのは「実績」のある学生
実績に裏打ちされたタフネスと柔軟さ。他者性の欠如。

 (1)ビビらずに限界ギリギリまで挑戦でき、(2)限界を知るがゆえに高望みせず、(3)様々な社会的手順に通暁し、(4)コミュニケーションにおいて相手が何を求めているのかを的確に把握して動ける。これらの能力を与える「充実した大学生活」が大切です。→「ひとかどの人間」
 逆に、内定が出ないのは、(1)限界を試したことがないのでビビリがちだったり、(2)同じ理由でお門違いの自己実現欲求を抱いていたり、(3)どんなボタンを押すとどんな社会過程が動くのか知らなかったり、(4)他者の構えに鈍感な学生です。→「ひとかどでない人間」

p.166 新入社員の三割が三年で止める、三つの原因
適職志向が強いからこそ会社を辞める。
1.グループワーク能力 →反活動
2.ノイズ耐性 →弟や妹が騒ぐ横で勉強する
3.集団ヒステリー現象 皆が奮闘することで、あり得ない力を発揮する

p.169 就活本の多くは、新卒者が適職を選べず三年で止める傾向を問題視する一方で、雇用問題を扱った本は、雇用の流動性を上げるべきだと提言しています。二つは端的に矛盾します。国際標準の正解は「流動性を上げろ」です。「一生を捧げる適職を見つけろ」は一般に間違いです。

p.175 社会性のある人間は教育で作る
 学校教育がグループワークを重視すべき理由や、サークル活動を中心として充実した大学生活を送るべき理由は、さもないと「社会化の不全」すなわち「社会システムが前提とする社会性を欠いた状態」が生じやすいからです。社会性を欠いた人は就職に失敗します。

p.182 企業社会では、グループワーク能力の欠落は、パーソナリティ障害と同様。生育環境次第。社会化の失敗。
 つまり、皆さんのグループワーク能力はもともと就活問題を超える問題です。なのに、企業は人事採用においてグループワークを極めて重視します。企業が最大限重視するポイントが、就活問題を超えている。そこに就職活動の成否をめぐる今日の本質的な困難があります。

p.213 自殺のロールプレイに学ぶ文脈コントロール
(1)お前が死んだら俺は悲しい →それだけの人間関係ができていることが前提
(2)おなか空いてないか? 何か食べてからにしよう

p.220 コネ:学生がどんな人間なのかを企業の採用担当が深いところまで把握するには、その学生についての文脈依存的なコミュニケーションが不可欠。「ぶっちゃけ、○○ってどうよう」という質問に、「あいつはああ見えて……云々」と具体的かつ肯定的に証言してくれる人々のネットワークを広く持つこと。だからこそ充実した大学生活を送るべき。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 社会・経済・歴史
感想投稿日 : 2011年10月24日
読了日 : 2011年10月24日
本棚登録日 : 2011年9月29日

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