本書は西洋の知識人であるサイードが、我々西洋(オクシデンタル)の人間が東洋(オリエンタル)というものをどのように解釈してきたのか、その「言説」を巡った本である。西洋至上主義に対する批判という面ではドゥルーズを、言説・解釈に対する考察という面ではフーコーを想起させる。
注意としては、ここで論点になる「オリエンタリズム」というのはあくまで「西洋に対比される東方諸国」であって、具体的にはエジプトやインド、イスラム諸国といった中央アジア地域について述べられている事。少なくとも上巻の時点では、中国や日本といった東アジアの国々は出てきていない。
膨大な事例を駆使してサイードが主張するのは、「結局、私たちは東洋人というのを理解してはいないのだ」という事実であり、西洋史で描かれる東洋人というのは彼らの時代の欲望が反映された姿に過ぎないと喝破する。
そしてこれは、オリエンタリズムに限った話ではない。カントが理性の限界を指摘した通り、私たちが「それ」を見ているからといって、「それ」が本当に「それ」であるという確信なんて存在しない。にもかかわらず私が思ってる「それ」は「それ」に違いないと思い込むこと、その欺瞞性に対する批判なのだろう。
深淵を覗き込むとき、それが本当に深淵であるとは限らないのだ。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
評論/研究
- 感想投稿日 : 2012年1月8日
- 読了日 : 2012年1月8日
- 本棚登録日 : 2012年1月8日
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