於継を加恵の「推し」として読むと最高にオタクでグロテスクな前半なので好き。
序盤はもやもやから始まった。冒頭から地の文においても於継の美しさを煩いほどに強調する。そんなに美しい美しいってそう美しい人が出てこないと物語始まらないの?確かに美しい人って人の噂話を膨らませるには重要なツールかもしれないど…この作品も歴史ものだし、語り継がれてきた噂話あるいは史実っぽさを出すにはそういう感性なんですかね?って…
だがアイドルオタクであるわたしは途中でハッとした。
ちがうちがうこれは「推し」だ!
と。
作品前半では加恵にとって於継は至高の存在。決して自分と交わることのない世界線にいる崇め奉る偶像だ。推しは尊び崇拝するもの。だって加恵は幼い頃に一度見ただけなのに、想像力で補いながらその於継に憧憬を抱き続けるのだから。
それを確信したのは加恵の祖父の通夜の場面だ。加恵は弔問に訪れ焼香をする於継を菩薩来迎の図になぞらえ心で賛美する。於継の髪の先から爪の形までうっとりと魅入るのだ。
憧れ?そんな生温いものではない。この喰入り方。「推し」以外にあり得るだろうか。私はドキドキさせる人を見たときのオタクの異常な語彙力を思った。そして有吉佐和子は100オタクだろうと。そういえば彼女、歌舞伎界に出入りしていたとかってどこかで読んだような。よし今度調べます!
そんな異様な高まり方をする序盤の天井をつき破るのがその後の展開だ。
なにせその「推し」がいきなり玄関を叩いてあちらからやってくるのだから。堪らない。さらに於継は加恵を(長男の)嫁に欲しいと言い出すのだから震える。
その壁をぶち破るのかぁーーー!ってな。
ここまでの美しさとか憧れに対する自分の距離がぶち壊されて行く感じがたまらなかった。超えてはならないレベルに崇めきってからの、この距離の詰め方は違法である。私は興奮を抑えられなかった。
そんな「推し」との距離を破壊し、自ら乗り越えて行く加恵の描写でもっともグロテスクなのは、内腿のつねり合いなどではない。風呂だ。
嫁入り当初加恵は於継の使い古しの糠袋でごしごしと自分の肌を磨いていた。於継の使ったものを使うことで、その瞬間だけ自らの肌が白く滑らかになるような気がしたからだ。だが、夫が京都から帰り嫁姑として冷たいものが流れ始めるとその糠袋がとたんに汚らしいものに感じるようになる。どうしてこんなもので自分の体なんて洗えたのだ、と。
最高だった。
ただその後の嫁姑の体を張ったバトル的な展開は、昔のワイドショー的な感覚というか、男はぼんやりしていて女と女にしか分からない確執があるみたいな描き方は凡庸な気がして残念だった。あと最後に史実的な記述と墓碑とかにフォーカス当てたりするのも中途半端と思ってしまった。
でも文章は本当に最高。作品に対して批判的に感じてしまった部分もあったけど、時代的な背景と価値観もあるだろうし、有吉佐和子が目指していた作家像みたいなものが分かれば納得する部分もあるのかもしれない。
- 感想投稿日 : 2020年1月24日
- 読了日 : 2020年1月22日
- 本棚登録日 : 2019年12月25日
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