- Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000009775
感想・レビュー・書評
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"言葉"が人間にもたらす認識作用についてわかりやすく説明しています。言葉の基本形である叙述文には報告・推論・断定の3つの種類があること。報告は事実を、断定は語り手の判断を述べていること。断定の文は語り手の主観に依存しており、一概に聞き手は肯定してはいけないこと。言葉には事実を伝達する機能と感情を上乗せする機能があること。言葉は必ず具象物の属性を捨象し抽象化されていること。適切な抽象度で対話しないと議論の本質を見誤ること。抽象観念の印象を具象物にそのまま投影するのは偏見を生むこと。などについて例え話を交えて説明しています。自分が言葉について薄々思っていたことも明快に書かれており、頭の整理になりました。大変勉強になりました。
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意味論に関する知識は全くなく、入門書として読んだ。
報告・推論・断定の区別、地図と現地の関係、外在的・内在的、抽象の過程…
個人と個人から広く国際レベルまで、無益な衝突・誤解を防いでコミュニケーションを円滑にするための原理がいっぱい! -
事実よりも記号が優先されがち。 ex. ベンツに乗っている人は、裕福に違いない。
記号を支配するための第1法則。
記号は物そのものではない。
コトバは物ではない。
コトバの意味はコトバの中にあるのではない。意味は我々の内にある。
地図は現地そのものではない。
外在的世界=報告によって受け取る世界
報告は、実証可能でなければならない。
できるだけ推論と断定を排除しなければならない
言語的世界と外在的世界=地図と現地
言語で外在的世界と何の関係もない「地図」を作ることができる
ex.突然事故に会わないようにウサギの足を持って歩く、ホテルの13階に泊まろうとしない
アヤマリの地図が頭に入るのは、人から与えられるか、自分で読み違えるかのいずれか
抽象のハシゴ
優れた小説家や詩人の作品は、より高いレベルと低いレベルの抽象感の相互作用を常に現している。その主張が人生への洞察を与える高いレベルの一般的な有用さを持つ人だが、かれは自分の能力で実際の社会的状況や心理状態を観察し描写して、その一般化に効果と説得性を持たせる。
抽象のハシゴ(ウェンデル・ジョンソン)
抽象のレベルの混同 ex. 自転車とケンカ
「その人の話がなかなか理解できない」と言う状況の多くは、「彼の語る内容の抽象化レベルが、”低すぎるか”反対に、”高すぎるか”による事を知り大いに頷きました。
抽象化のレベルが高すぎると、
「赤という語はどんな意味だ?」
「それは色だよ」
「色って何だ?」
「それは物の一つの性質さ」
「性質って何だ?」
という展開になり、質問を発している方から見たら、答えは五里霧中です。抽象化のレベルを下げると
「赤という語はどんな意味だ?」
「交差点で自動車が止まっている時に前方の信号灯を見たまえ。消防署に行って消防自動車がどんな具合に塗ってあるか見ても良い」
という展開になります。
語と記号の神秘的関連 必然的な関連 ex. ガラガラ蛇
思考の中の幼児性を回避するには、語とそれが代表する物との間に関して必然的な関連はないということを深く知ること。
報告から推論に断定に そしてレベルの混同に。
メアリーはこの前の土曜日の夜、2時まで戻って来なかった(報告)
彼女は遊び回っていたのだ(推論)
彼女は遊び人だ。顔つきも虫が好かない。初めて見た時から分かっていた(断定)
こうした性急な抽象的判断による他の人への反応により、我々は他の人の生活を悲惨にするばかりでなく、自分自身の生活も惨めなものにしていることが多い。「私は3回失敗した」→「私は失敗者だ!」
二価的考え方VS多価的考え方
指令的叙述と情報的叙述とを区別せよ。
報告から推論に断定に、そして抽象レベルの混同に。メアリーはこの前の土曜日の夜、2時まで戻って来なかった(報告)彼女は遊び回っていたのだ(推論)彼女は遊び人だ。顔つきも虫が好かない。初めて見た時から分かっていた(断定)こうした性急な抽象的判断による他の人への反応により、我々は他の人の生活を悲惨にするばかりでなく、自分自身の生活も惨めなものにしていることが多い。「私は3回失敗した」→「私は失敗者だ!」。二価的になる自分を避ける。通達的事象を話し手と話の内容に分ける。信念体系と不信体系(ミルトン・ロキーチ)。不信体系についての情報に対して心を開くということが、開かれた心を持つということ。我々が他の人々の判断により、そして我々が彼らの断定を信じることにより、我々を不当に影響させる事実こそが、我々が劣等感を、罪悪感を、不安定を感じる最も一般的な理由の一つである。報告にいかなる断定も下さない。反応の延滞反射機構を持つこと。慣習的に達した態度と外在的に達した態度とを区別すること。慣習的態度に含まれた広い評価錯誤の原因は、その中に高いレベルの抽象における一般化が含まれていることである。
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『#思考と行動における言語』
ほぼ日書評 Day633
Day631に続き、半世紀、読み継がれる名著シリーズ。が、こちらは分量が凄まじい。350頁ほどながら、1行50文字、最近の同型本の1.4〜1.5倍の文字量、単純計算で500頁換算の大著である。
それだけのボリュームがありながら、休日1日(実質半日ほど)を費やしたとはいえ、一気読み。現代でも、いや寧ろ、今のような時代だからこそ、興味深く読み通すことができた。
内容は、あまりにも多岐にわたるため、読んでいただくしかないが、いつものように、幾つか興味を惹いたポイントを。
言語的世界(verval world)かつ外在的(extensional)な世界との対比から、議論が開始される。外在…は、本来、内在的(intensional)と対比されるべきものなのだが、厳然としてそこにあるものと、言ってみただけ、とを対比するという発想も、なかなか面白い。
その後、前半は、言葉や表現の仕方の定義に関する論述が続く中、非常に面白かったのが、次の内容。
貧困者への「施し」を、彼らが失業等といった事態に陥る以前に果たした世間への貢献に対する「保険金」であると表現し、やたらに面倒な手続きを設けることで、出来るだけ「施し」を求める者を排除しようとする代わりに、保険料を払ったものが当然の権利として請求できる「保険金」と考える。この2種類のポジショニングは、同じことなのかどうか?
後半は、より現実世界の出来事との関係性を強める方向に論が進む。
人種や性別に関する差別的とされる表現の変遷。ニグロとされていた人たちを、ブラックと称することが好まれたが、これも今日では異なっている(「ユダヤ人」が、今日なおそのままなのは何故か?)。
さらに、ナチスのニ値的思考法(「ナチ党員にあらざれば狂人もしくは愚者」「ハイルヒトラーの挨拶を進んで行わないものは裏切り者」というような考え方)や、共産党・マルクス主義者についても"レッテル貼り"(ブルジョワ的インチキというような)の危険性に言及。
これらの例でピンと来ない向きには、憲法9条信者の言の方が例として相応しいかも知れない。例えば、災害時救援でも大きな役割を果たしている自衛隊が現行9条では違憲の恐れがあるから、それを明記すべしと言った瞬間に、9条を守れないものは好戦派、戦争をしたいと考えている…と決めつけるあれ、である。
こうした発想法が、機械学習に取り込まれてしまうと恐ろしいことになるだろう。
さらに、詩と広告に関する考察も、思考を広げてくれる。
現代のコピーライターの仕事は、消費財を「詩化」することにある。広告は"スポンサー付きの詩"、従来の意味での「詩」は"スポンサー無しの詩"と呼称を改めるべきなのだ。そして、多数のスポンサー付き詩人が、膨大な数の作品を世に問うている中、スポンサー無しの(本来の)詩人達の作品は、難解の度を極めざるを得ないという。往年の名詩人のような詩を書いたなら、下手なコピーライター呼ばわりされることになるであろうからだ。これは詩に限らず、音楽や映像等の芸術においても、ほぼ同じことが言えるだろう。
ところが、である。時代が降り、今日においては、ネット媒体の普及により、この区別が再び曖昧になりつつあるのが、また興味深い。
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一度では理解しきれず、何度も読んだ一冊。
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一般意味論の入門書。
最近の本として、「ことばと思考 (岩波新書) (今井むつみ)」(2010/10/21)との併読を薦める。
「サピア=ウォーフの仮説」(言語が違えば人間の思考パタンも違う)と、「普遍文法」(生成文法学派が提唱した「人間の脳に普遍的に備わる言語能力」)は、どちらがより妥当か。 -
・反応を延滞し、「もう少し話してくれませんか」と言うことができ、反応する前に耳を傾ける。これが、この書が関心を持っている理論的原理の幾つかの実際的応用である
・悪い目的で語られる真実は、どんな嘘をも打ち負かす
・コトバではなく事実について考えれば、問題に新しい光が投げかけられる
・不健康な反応の徴候は、感受性が過敏で、すぐに心が傷つき、すぐに侮辱されたと腹を立てることである。未成熟な精神は、コトバを物と同一視し、不親切なコトバを不親切な行動と見なす
・精神科医やカウンセラーの助力のもっとも重要な一つの面は、かれらは決してわれわれにいかなる断定もくださない、という事実である。自分は「ただの」ガソリンスタンド従業員「にすぎない」ではなく「私はガソリンスタンドの従業員だ」
・大切なことは、どんな結論に達するにせよ、価値判断の対象である事物についてのわれわれ自身の外在的検討の結果であるということ
・本を読むこと―ワーズワースを読んだことのない人は、英国の湖のある地方について何かを見落としている、たとえその人が一生そこに住んでいようとも
・言語の使用の結果としてしばしば不一致と衝突が起こりまたは激化される場合には、話し手か聞き手かその両方かに何かミスがあるからなのだ -
Azabu
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言語を使って生活をしたり、言語を使って色々考えたりするので、言語ってたしかに僕にとっても重要なテーマかもしれない。文学についての話で、著者がたしか言っていたと思うけど、文学や表現を通じて他人の人生を生きてる感覚は分かる気がする。
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思いついてみたことを書いてみた本。NLP(エセ心理学ほう)の人が影響を受けてるのでその文脈で語られる。本はありのような、なしのような、と。