- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000021593
作品紹介・あらすじ
都心に屹立する摩天楼、郊外に建ち並ぶ一戸建て住宅群…。流動する生活を強引に凍結して記念し、周囲の環境を圧倒する二〇世紀型の「勝つ建築」は、いまやその強さゆえに人びとに疎まれている。建築はもっと弱く、もっと柔らかいものになれないだろうか。さまざま外力を受け入れる「負ける建築」の途をさぐる、気鋭の建築家の手になる「受動性の建築論」。
感想・レビュー・書評
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題名がさらっとしていたので、内容が一般的なのかと思っていたけど、バリバリの専門書だった。いい意味で裏切られたと思ったので、☆5つ。
著者は、受動的に設計の方針を決めることを、負けるという言葉を用いて、負ける建築と言っている。簡単に言うと、その土地それぞれの規制や制限を逆手に取って、建築を作っていくということだ。さすが東大の方というべきか、歴史や思想、経済の話が出てくるので、話が論理的で説得力がある。アメリカのどこかの大学では、設計の授業ではもう製図板を使わず、コンピューターで全ておこなってしまうというのは、驚き。近年は、設計製図が、アニメーションの力比べになってきているとも言っている。
シンドラーとかロバート・ヴェンチューリとか、建築の世界で著名な人の名前が多くでてきたので、確かめながら読むことができて良かった。建築関係では無い人は、わからないと思うので、一般向けの本ではないです。読者層を絞っているため専門性がはっきりでていたので、個人的に良い本だと思う。
参考URL↓
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/070410/index.html詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
さまざまな分野に言及している本。
建築を中心に生活のいろいろなことを考えられる。
とってもお勧め! -
コンペで負けるとか、回りの環境に負けるとかいう本だと思って読んだら全く違った内容だった。。。
ずいぶん観念的な内容で、頭がよくてしゃべれる建築家だから、あれだけ仕事があるのだとわかった。
徹底的に叩かれた作品をつくってなお、生き残るしぶとさと、その後の実績が、よい意味で、彼の本当の実力を示しているのろう。 -
実際につきあってみて、同じひとつの時間、ひとつのプロセスを共有する体験の重みだけが、人間にとって意味を持つ。それは負けること、不自由でそこそこ弱いからこそ続いていくこと。
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建築はなぜ負けなければならないかを、建築の歴史や特徴から分析した本。様々な角度から建築を見ている視点が面白い。
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建築が嫌われる理由。
・大きいこと
・物質の浪費
・取り返しがつかないこと
これに対し社会が建築を必要にするため、ケインズ政策、持ち家政策などが打たれてきた。
この本で、これまでの建築、都市の過程を経済中心に理解できる本。
建築以外も学べる良本。 -
前書きで、隈氏は「今は建築の危機だ」と断言し、3つの事例を挙げて、説明する。
一つは住宅ローンの問題。幸せの象徴であったマイホームが逆に手にいれたことで生活を圧迫している。同書はサブプライムローンの破綻以前に書かれたものだが、国の経済を困窮させている現状を見ると、さらに深刻なものとなっている。
家というものは何か?
また、オウム事件は建築の観点からも大きな衝撃であったという。オウムの建物は、無機質の倉庫だった。かつての宗教建築は、ひとつの象徴であった。神を崇めるために、特別に設えたもの。しかし、オウムは建築に無関心だった。建築は力を失ってしまったのか?
最後は阪神大震災である。地震によって、多くの人名、彼らの住まい、会社が崩壊した。建物とは儚いものである。
負ける建築とは、隈氏の建築哲学である。
建物は本来、弱い、儚いものである。ならば、柳のようにしなやかな受け身の建築というあり方が正しいのではないかと考えるようになったようだ。負けるということは、隈氏にとって、「負」ではない。率先して、負けよということだ。
隈氏は、建築だけの視点でなく、政治、社会を含めて、複合的に建築史の流れを推理していく。なぜ、生き残る建築があり、淘汰された建築があったのか。若干、予備知識を必要とする部分もあるが、興味深く読めた。 -
建築家・隈研吾による負ける建築の提言。
マルチな視点から語られた刺激的な現代建築論です。
バブル以降を代表する建築思想だと思います。 -
とにかく分かりやすい、だが分かりにくい。
隈のいう負けるとはどういうことなのかが知りたかった。
“地”にあぐらをかかずに“図”をつくれということか。