- Amazon.co.jp ・本 (201ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000221733
作品紹介・あらすじ
脱俗・孤高の精神の台所。橘曙覧、契沖、鴨長明、西行、本居宣長…さまざまな"なりわい"と性の形を見つめ、文学が生成する場所、無用者の回廊をめぐる。
感想・レビュー・書評
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情報過多社会である現代では、想像できない生き方と思うが、中世から近世まで日本社会では存在したと思われる「遁世」という生き方について、大阪人である著者があっとランダムに選んだ歴史上の人物の「遁世」について残された当時の情報に基づき彼らの生き方について分析・評価したエッセイである。
大阪の学者「契沖」、越前の歌人「橘曙覧」などの生き方が細かく描かれていました。
西行法師、鴨長明についても触れられていましたが、すばらしい「遁世」ばかりではなかったようで、生身の人間、生きる上でやはり色んな悩みがあり、現実との妥協もせざるをえない部分もあり、知らないことも書かれてあり、まぁ面白い読み物でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
読んでいて感心するのは
作者・富岡多惠子の知識の豊富さ。
これはかなわないなと思う。
「脱俗」「孤高」「無用者」
魅力的な言葉が続く。
「隠者」とは「諸縁放下」「修身」「清貧」
だと思っている。
「わびさび」とは
「貧乏」と「孤独」のことでしょ。
そういった点では世を遁れ
世間の外へ出ているだけでは
不充分でやっぱり「寂しさ」が欲しい。
だから「寒月」という字は魅力的に見える。
「聡明を乱用せず」もいい。
淡島寒月のことは知らなかった。
「氏の一生を通じて、氏は余りあるの
聡明を有していながら、それを濫用せず、
おとなしく身を保って、そして人の事にも
余り立ち入らぬ代わりに、人にも厄介を掛けず、
人をも煩わさず、来れば拒まず、去れば追わず
という調子で、至極穏やかに、名利を求めず、
ただ趣味に生きて、楽しく長命した人であった」
と幸田露伴記す(P53)。
そして富岡は最後にこう書く。
「聡明や才能を濫用せず、またそれによって
世渡りしなくていい一生は幸福との言は
なかなか含蓄に富むと言わねばなるまい。
たいていは、濫用どころかあるかなきかの
才を元手に、かつがつ世渡りせざるを
得ぬからである」 -
群像2009年10月号書評より
新潮2009年11月号書評より