- Amazon.co.jp ・本 (527ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000225335
感想・レビュー・書評
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従来「宗教家」とみなされ、もっぱら宗門内で論じられてきた清沢満之を「哲学者」としてとりあげなおし、その思想の現代的可能性について著者自身の立場から考察をおこなっている本です。
仏教の伝統のなかで語られてきた言説は、これまで「厳密な概念に仕上げられてはいなかった」と著者はいいます。それを厳密な学的概念にもとづいて解釈しなおすことは「ひとつの創造的な努力」であり、清沢はそのような道をあゆんだと著者は主張します。そのうえで、「とはいえ、彼の仕事のなかには、後からいくわれわれの解釈を要求するものがあり、われわれもまた概念の仕事をもってこれを実行しなくてはならないのである」と著者は述べ、そのような立場から清沢の思想の意義を解き明かすとともに、その思想を敷衍することを試みています。
こうした著者の清沢に対するスタンスは、けっして中立的な解釈にとどまるものではありません。著者は「序文」で、「私は社会哲学的観点から清沢満之の思想に関心をもち、その観点から彼の全仕事に接近する」と語っています。著者は、有限者であるわれわれが無限者に媒介されることによってもっとも広義の交易=交通が成り立つと考えており、このことにせまることが著者自身の社会哲学のもっとも根本的な問題だということができます。一方、宗教哲学者としての清沢のとりくんだ問題は、有限者が無限者によって摂取され、そのことを自覚することで信仰が成立するにいたる経緯を明らかにすることでした。こうして、著者の関心と清沢の関心の相同性が指摘されるとともに、清沢の思想が著者の社会哲学を展開していくうえで重要な手がかりを提供しうるものであることが論じられます。
清沢研究としては、かなりかたよった立場からの議論のようにも感じられますが、著者の社会哲学についてより深く学ぶうえでは興味深い内容でした。ただ、叙述のくり返しが多く、冗長に感じてしまったのも事実です。詳細をみるコメント0件をすべて表示