- Amazon.co.jp ・本 (314ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000234436
作品紹介・あらすじ
一九三六(昭和一一)年、二十数年ぶりに復活した軍部大臣現役武官制は現役軍人のみが陸軍大臣、海軍大臣に就任しうるという制度である。この制度の復活により、軍部は内閣の生殺与奪の権を握り、その後の政治を支配したというのが従来は昭和史の定説となってきた。しかし、この制度で陸軍が暴走し、日本は戦争への道を歩んだという歴史認識は果たして本当に正しいのだろうか。本書は、陸相のポストをめぐって陸軍と首相及び天皇が対立した全事例を精査し、昭和史の常識を覆す注目の書き下ろしである。
感想・レビュー・書評
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軍部大臣現役武官制により軍が政治を支配した、という「定説」に反論する。政治勢力としての陸軍の強弱度合いが先にあり、この制度が政治介入成否の決定的要因ではなかった、というのが著者の結論だ。
この制度による陸軍の政治介入の典型としてよく語られる宇垣内閣流産と米内内閣倒壊の2事例。しかし著者は、前者の最大要因はこれに反対する陸軍の強大な政治的勢力そのものであり、この制度がなくとも宇垣は組閣できなかったとする。また後者は、近衛新体制待望の中で米内が陸軍に責任を負わせるべく畑陸相に辞職を求めた「政治的自殺」だったとする。
逆に、軍部大臣指名に陸軍以外の意思が働いた事例として、第一次近衛内閣で天皇の支持を得た近衛が杉山陸相の抵抗を排して日中戦争不拡大派の板垣を陸相に起用した例、また阿部内閣で陸軍内部の激しい派閥抗争があるところに天皇の意思で畑陸相が実現した例を挙げている。
また、林内閣組閣時の陸相に中村を推す三長官+梅津次官と、板垣を推し政治工作を行う石原派が対立。林が石原派と手を切り中村陸相が成立、梅津人事により片倉衷など石原派が追われた、というのはあまり見ない指摘だった。
本書では一次資料を多く引用するが、宇垣から陸相就任を要請された小磯は、宇垣への弁明と自伝でそれぞれ、陸軍中央からの事前の指令について二枚舌を使い分け自己正当化する。米内は「畑の突然の辞意表明により総辞職を余儀なくされた」と言うが、畑自身の日誌では米内から辞職を求められたとあり、完全に逆だ。当事者自身の語りには往々にして自己正当化があり留保が必要だと強く感じる。
なお、中公新書『宇垣一成』を読んだ時に疑問だった、なぜ宇垣はあれほど陸軍中堅層(満洲派)に嫌われていたのかという点につき、本書で、宇垣軍縮と、満洲経済計画に同調する林の内閣待望論という回答が分かった。 -
お役所仕事の大東亜戦争倉山満から
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現代の定説では軍部大臣現役武官制が陸軍の暴走を可能にしたという事になっている。著者は一から検証してそれを覆している大変な労作である。その姿勢には畏敬の念すら覚える。研究者間には反論もあるかもしれぬが黙殺することなく誠意を持って議論を深めて欲しい。また結論にかかれている緒方竹虎の考察を知り得た事も大きな収穫であった。是非おすすめしたい本である。