発見術としての学問――モンテーニュ、デカルト、パスカル

著者 :
  • 岩波書店
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感想 : 4
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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000244589

作品紹介・あらすじ

あのデカルトが、美文に憧れた!「考える葦」の強調点は、愚かでろくでもないことばかり考える"わたし"に打たれていた-テクストから「生身の丸ごとの人間」の体験と思想をよみがえらせようとするとき、通念はくつがえり、見たことのない思想史の断面が現れる。近代のはじまり、一七世紀のモラリストたちに尋ねる、学問のほんとうの面白さと、生きるためのヒント。

感想・レビュー・書評

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  • 勉強になった‼️

  • それぞれの学問には、それを修得するために必要な基礎知識とそれを運用する技能、そして目標達成のための手段である方法の複合体、それがディシプリンであろう、があるという見方は自然科学や社会科学にとっては自明の理であろう。
    人文学、とくに文学研究においては、ディシプリンの林格と内容が明確でない場合が多いが、それでも職業的な訓練という意味合いでなら、どの学科においてもディシプリンを欠かすことはできない。
    文献学と文学は同一の普遍的なディシプリンをとして、人文学の全体さらには学問全体に及んでいた。
    古典といえば、洋の東西を問わず、偉大な古人の知恵の結晶であり、読者の知性と徳性を滋養し、教養の基礎となる書物だという建前が広く受け入れられているという反面、現代社会の課題の前では無力であり、また学問の進展、科学の進歩との関連では、時代遅れで無用の長物だという本根も根強いのではないでしょうか。
    思考。人間の尊厳の根拠はすべて思考のうちにある。しかしこの思考とは何か。それは何と愚かなものか。したがって思考は、その本性からいえば、素晴らしくまた比類ないものだ。
    無知は力なのかもしれない。
    神の愛でる天才は、人間の条件が許す限り広く深く知性を備えている。しかし天才ならぬ身の私が同様の知性を与えられていないことをもって、神に苦情を申し立てることはできない。
    いかなる未来、いかなる目標であれ、それ自体に価値があると考えるのは錯覚であり、我々はそのことを事前にまた本能的に知っている。

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