ゆれる死刑――アメリカと日本

著者 :
  • 岩波書店
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本棚登録 : 41
感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000254144

作品紹介・あらすじ

主要先進国のうちで例外的に死刑制度を存続させているアメリカと日本。死刑を廃止した州もあれば、執行を停止している州も、受刑者自身が死刑の方法を選択する州もあるアメリカ。裁判員制度もはじまり、誰もが死刑を宣告する立場となったにもかかわらず、死刑の実態についてはあまりに知られていない日本。その日米両国で犯罪被害者遺族、元受刑者、元検事、教誨師らの関係者に直接取材、死刑をめぐりゆれる思いを丹念にたどる。

感想・レビュー・書評

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  • 筆者の考えがゆれているのがとてもよくわかって、かつ読みながらこちらの考えもゆれる。これでいいのだろう。ゆれてもゆれてもきちんと考え続けることが大切なのだと思う。しっかりとした取材に基づいていて良質のルポといえる。

  • 読めば読むほど、国家による殺人「死刑」というものが一体何なのか、何のためのものなのかわからなくなる。

    取り上げられる死刑囚や被害者遺族、裁判官や検事など、関わった人々の言葉ひとつひとつが重くて、ここでは何も語れそうにない。
    ただ、誰の言葉からも同じように伝わってきたのは、死刑は区切りにはなるかもしれないが、解決には決してならないということだけだ。

  • 唯一の「合法的殺人」死刑。その存在に対する意見、考え、評価は、この本のタイトルの通りまさにゆれていると思う。
    冤罪、殺人犯が税金で衣食住を保証され生き続けること、被害者遺族の感情、貧富や人種や生まれによる差別、他の刑罰とのバランス……死刑を考える時の軸足の置き場っていうのは本当に多く、その置き場次第である種の救いにもなれば、尊厳を貶める悪にもなり得る。
    確定から6ヶ月以内に執行すると法で定められているにもかかわらず、法務大臣の政治信条一つで簡単にその法が破られ罰せられることもない。そんな杜撰な環境におかれている日本の死刑という刑罰。裁判員制度のもと、誰もが死刑判決を下すかどうかの判断をしなければいけない可能性のあるいま、きちんと考えなければいけない問題の一つであることは間違いないはず。

  • 「仮名手本忠臣蔵」を観る度に単純に思うことは、
    「塩冶判官が高師直を斬っていればよかったものを」である。

    今回、今まで考えたことも無かった死刑について様々な角度から
    考えてみると、忠臣蔵を観る私の視点が、如何に赤穂浪士寄りに
    なっているかということがわかるし、
    仇討が出来たことをもって達成感を得るのだから、敵を討つことが
    当然の権利と考えている節もある。

    と、まあ、こんな風に自分の思考の傾向を再確認しつつ、次には、

    塩冶判官の切腹は、方法として良いものかどうか?
    塩冶判官は冤罪ではなかったか?
    塩冶判官亡き後、冤罪を証明出来ない位ならば死刑はすべきではない、
    塩冶判官の遺族が社会から見られる目はどうか?

    といったことが、展開されていくわけである。
    こうなってくると、例に忠臣蔵を挙げたのは、塩冶判官が凶悪犯では
    ないために、ちょっと論点がずれてくるのであるが・・

    刑罰とは何か?
    誰のための死刑なのか?
    死刑の存在のベースにある国民の考え方とは?

    賛否以外にも多くを考えさせられ、本当に揺れるのである。
    そんな様々な視点からの考察が、無理なく展開されている点でも、
    この重たいテーマながらに非常に読みやすい本となっていた。

  • 死刑制度の是非を問いかける本。アメリカと日本の死刑制度を比較検討することで、それぞれの問題点を描いている。
    主要な論点として指摘されるべきは、
    ・死刑制度の残虐性の議論の取っ掛かりとして、第1章でアメリカにおける死刑公開の様子を描いていること。
    ・死刑を執行した後の被害者感情を、時間経過、遺族と死刑囚の交流といった点で相対化していること。
    の2点だろう。
     前者は、まず死刑そのものをリアリティ満点に提示することで、否応なしにその正否を問いかけることとなる。とはいえ死刑の公開はあくまで議論の始まりであり、それ以上の意味付けを行うことは適切でないだろう。
     その点、後者においては、死刑という制度の妥当性が改めて問われる。被害者遺族は当然に死刑を望む。そこでもっとも心に残ったことは、死刑執行後に遺族たちが怒りをぶつける対象がこの世から消え去るということである。世間は死刑を持って一つの区切りとできるが、遺族は執行の前後で悲しみにピリオドを打てるのか。また死刑決定から数十年のちに執行されるという状況を鑑みて、変化してゆく死刑囚、遺族の感情を見るに、果たして犯罪が実行された直後に審判を行うことにどれほどの意味があるのか。

     以上述べた点をふまえて、筆者は死刑の様子が公開されない日本(考えてみれば江戸時代は死刑は公開されていたわけであり、ある意味での退行現象ともいえるのかもしれないこの国)の死刑を巡る議論の広がりを期待している。
     無論現在の司法においては有罪の推定がはびこり、また冤罪によって死刑判決を受ける者が一人でもいる以上、死刑を維持する正当性は根底から揺らぐ訳であるが、そうした現状を正しく認識し直す意味でも、我々が広く意見を交わすべきなのであろう。与えられた証拠、資料に基づいて罪を決める裁判員制度の真の価値を含めて(筆者はアメリカの事例を出して、陪審員制度が検察の操り人形と表現する)、問題は余りにも大きく、重い。

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著者プロフィール

1964年滋賀県生まれ。88年毎日新聞社入社。カイロ、ニューヨーク両支局長、欧州総局(ロンドン)長、外信部長、編集編成局次長を経て論説委員。2014年、日本人として初めて英国外国特派員協会賞受賞。『柔の恩人 「女子柔道の母」ラスティ・カノコギが夢見た世界』(小学館)で第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞最優秀賞をダブル受賞。著書に『十六歳のモーツァルト 天才作曲家・加藤旭が遺したもの』(KADOKAWA)『踊る菩薩 ストリッパー・一条さゆりとその時代』(講談社)など。

「2023年 『中世ラテン語の辞書を編む 100年かけてやる仕事』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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