都鄙大乱 「源平合戦」の真実

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (358ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000614917

作品紹介・あらすじ

『平家物語』等に華々しく描かれる〈源平合戦〉の真の姿は、都鄙問わず戦乱に巻き込み、全国の田畠を荒廃させ、多数の死者を出した苛烈な〈内乱〉であった。物語の背後に消えた名もない民衆の痕跡を可能な限り同時代史料に求めつつ、時代の〈真実〉を丹念に読み解く。〈鎮魂〉への思いを込めた、渾身の一作。

感想・レビュー・書評

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  • 治承4年(1180)5月の以仁王の乱から元暦2年(1185)3月の壇ノ浦合戦後まで、足かけ6年にわたって続いた戦乱の全体像を描出するのは容易いことではない。本書は『平家物語』『吾妻鏡』といった従来この時代のイメージを形づくってきたテクストを丹念に批判しつつ、最新の研究成果を取り入れながら、社会の上下各層や全国各地の戦乱とそれに関係する動きを描き出している。まさに源平合戦にとどまらない「都鄙大乱」(『平安遺文』5083号)の歴史である。

    なぜ「内乱は源氏平家の争覇という次元にとどまらず、広く社会矛盾の激発という本質を持っていた」(p.70)のか。著者は「近年の院政期の荘園研究は、根本的な様変わりを見せて」(p.61)おり、従来は寄進地系荘園と見えたものが、実は王家や摂関家に内々に寄進されていた私領を核にして周辺に広がる国衙領を大規模に囲いこんでゆく領域型荘園が主であったという点を押さえた上で、こうした国衙領の割り取りが一方的におこなわれることで現地では在庁と国内荘園との暴力をともなう抗争が頻発していたこと、つまり在地領主層(下司・公文、在庁官人)を疲弊させ、中央と地方の矛盾、対立の関係が高まっていたことを指摘する(p.69)。平家は、治承3年のクーデタで知行・荘園を大量に集積し自らの政治的・経済的基盤とした。このことは皮肉にも中央−地方の矛盾を平家自らが一手に引き受けることとなった。ここが1つの大きなポイントである。

    しかし、頼朝の挙兵自体は叛乱であるには違いない。頼朝がどのようにして自らの叛乱に正当性を担保していったのか。第3章3の「頼朝の密奏と平家の対応」ではその辺りの頼朝の巧妙な政治策略が描かれ(p.97)、「治承・寿永の内乱は源平の内乱という形をとりながら、そのじつ、体制の矛盾によって引き起こされた全社会をまきこんだ内乱として理解されなければならない」と再度確認している(p.105)。

    さて本書は広い視野からこの時代を描くという目標を掲げているわけだが、この全国的内乱のさなかに発生した「養和の大飢饉」について、第4章全部を割いて叙述がなされている。大飢饉と治承4年末の南都焼討で焼け落ちた東大寺・興福寺再建の事業とが関連付けられ、立体的に描かれている点にも注目である。そして、「養和元年・二両年に限らず、飢饉はその後も継続し、戦闘行動が終息した後にむしろ年貢の未済がより深刻化している」という事実が指摘されている(p.140)。

    第5〜7章は平家の都落ちから滅亡まで、通説・俗説を批判しながら叙述されていくが、とくに興味深かったのはp.155の叙述。第2次世界大戦前には軍人による戦史研究が盛んであったが、中世の戦闘の具体的経過を史料で辿ることはほぼ不可能であり、そこから何らかの戦訓を引き出そうとするのはまったくのナンセンスであると指摘されている。とくに砺波山戦の義仲の戦いぶりを賞賛した大正時代の「戦史研究の専門家」であった首藤多喜馬などが鋭く批判されている。また壇ノ浦の合戦について種々の「敗因」が取り沙汰されているが、「平家は敗れるべくして敗れた」のであり、義経の感覚としては残敵掃討戦に近い感覚であったであろうと著者は結論づけている。平家一門が宋に逃亡しないように「唐地をぞ塞ぎける」(『平家物語』延慶本巻十一・十四)が本当ならば、それは義経の余裕の対処の結果であった。そうであるからこそ平家の隆盛に眩惑されて付き従った多くの家人たちも早々に戦線離脱したのであり、「玉砕」などは「近代の軍国日本であってすら、1944−45年の絶望的な戦局がもたらした、死への無理強いを美化する無慚な自己欺瞞であった」(p.245)のである。

    この内乱の政治史的に重要な画期は、寿永2年10月の宣旨、つまり頼朝が東海・東山両道諸国の国衙在庁指揮権を獲得したことであり、王朝と関東の国家並立の状態に終止符が打たれ、「東国独立国家は可能性に終わり、頼朝の軍事政権は、実態はともかく形式的には後白河王朝の統属下に入った」ことであった(p.184)。坂東武者の自立を志向した上総介広常誅殺もこうした流れのなかで理解されねばならない。

    第8章はこの内乱のあと、朝廷から相対的な独立を認められた「幕府」の成立、さらには地方の荘園や寺社の復興を通じての新たな時代の展望が開けていったことが述べられる。「在地に財がより多く留保されるようになり、在地領主の地位権益が幕府によって保証され、かれらと支配下民衆の間に撫民と公平の互恵関係がうまく構築できるようになれば、在地領主制は本格的に軌道に乗り、一方百姓らの経営の安定・伸長と村落の自立(自律)性確保の展望も開ける。鎌倉時代はそういう可能性を、内にはらんで発足することになった」(p.277)のである。

    本書の構成は以下の通り(章タイトルのみ)

    はじめに
    第1章 以仁王令旨と諸国・諸氏の挙兵
    第2章 反乱はなぜ全国化したのか
    第3章 内乱の深化と信越の動向
    第4章 養和の大飢饉
    第5章 平家、都を落ちる
    第6章 義仲滅亡と「一ノ谷」合戦
    第7章 平家の滅亡
    第8章 鎮魂される死者
    結び

  • 以仁王の乱から壇ノ浦合戦後まで、広い分野の史料や研究成果を踏まえながら戦乱の実像を描く内容。戦乱史・政治史はもちろんのこと、内乱深化の背景としての荘園の実態、養和の飢饉についての詳述、戦後の鎮魂事業など、興味深い内容が多かった。

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