河合隼雄著作集 第2期〈7〉物語と人間

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (405ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000924979

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  •  日本の紫式部がかいた世界最初の小説である。
     件の物語は光源氏というプレイボーイの女性遍歴という解説がなされるが、彼の視点はまったく逆。
     式部自身に内在するさまざまな女性像を描くために、光源氏という玉虫色で都合のよい主人公が必要だったする説に立っている。
     つまり、光源氏を中心とした構成ではなく、女性たちが中心でその間を狂言回しよろしく光源氏がさまよっていくというわけだ。

     世界で最古の小説を書いたわりに、作者の紫式部についてはわかっていないことが多いらしい。

    20150209 紫マンダラ
    ポストモダン
    女性の目(全体的、主観的・対象との関係性を重要視する)から見た世界観/男性の目(分析的、客観的・対象から完全に切り離す)
    光源氏→人間離れしたゼウス的
    紫式部の自己主張の物語
    自分の内にすむ様々な女性を表現するための、猿回し的な役回りの源氏(のちに主体性の獲得)

    平安時代
    母権的、父権的がいりまじった世界

    集団が神話を共有
    その共有された神話を生きている限りは「安泰」

    現代 言い学校、会社、定年で退職金をたくさんもらう 悠々自適の老後
    それを生きている人は自分で「物語」を作ろうとはしないし、他人のも読もうとしない

    平安貴族 ステップアップ 天皇の外祖父

    紫式部は最初から蚊帳の外(下級貴族の娘である)、
    経済的には安定しており、彼女「個人」の才能を認められ、中宮のもとでそれを発揮することを期待されている
    「個人」としての立場が比較的ハッキリしているが、いきるべき「物語」が用意されていないとなると、勢い自前で用意せざるを得なくなる。
    「仮名の発明」

    母権社会の女性
    母→娘→母→娘
    と延々とぐるぐるまわる。
    娘から母へのイニシエーション
    聖婚、聖娼
    男性はストレンジャー(見知らぬ人)
    「偉大な母」の保持
    霊性(スピリチュアリティ)と性(セックス)が一体

    父権社会の女性
    男性を中心とした「母」「妻」「娼」「娘」。

    20150408 紫マンダラ
    大君 「父の娘」男女の仲を拒否し、精神性を求める
    浮舟 「母の娘」徹底的な受動性。意志はみられない
    →身体(ボディ)の否定。死につながる。

  • 『紫マンダラ』と『物語を生きる』(ともに小学館)の2作品を収録しています。

    『紫マンダラ』は、ユング心理学の観点から『源氏物語』に登場する人物たちの織りなす関係についての考察がおこなわれています。著者は、『源氏物語』の女性たちによって、著者である紫式部の多様な側面が示されていると解釈しています。同時に、物語のはじめのほうではそれらの女性たちがみずからを映し出すための空虚な中心としての役割を担わされていた光源氏が、しだいに近代的な小説の登場人物のように内面をもつ人物として描かれるようになり、それにともなって平安時代を生きる女性たちの心理的な問題が源氏との葛藤のなかで深く追及されていったいう主張が展開されています。

    『物語を生きる』では、『竹取物語』『宇津保物語』『落窪物語』『平中物語』『浜松中納言物語』などの作品が取り上げられ、やはりユング心理学の立場からの解釈が示されています。

    六条御息所の生霊を、彼女の深層心理の表われではなく、むしろそれを見ることになった葵の上や源氏の深層心理を表わすものとして解釈する点など、心理学の立場からの読み解きには啓発されるところもありました。ただ、『源氏物語』に登場する女性たちを、「妻」と「娼」、「母」と「娘」の軸によって構成されるマンダラに配置するという目論見は、多少強引さを感じないでもありません。また、浮舟の境涯にユング心理学的な死と再生の物語を読み取るという著者の見方もそれなりに理解はできるものの、多面的な魅力をもつこの物語のごく一部を切り出しているにすぎないという気がします。

  • 140.8-カワ-2-7 000291179

  • 河合隼雄著作集第二期第7巻「物語と人間」
    王朝物語に対する分析は飛ばして、人間にとってなぜ物語が必要なのか、というところに焦点をしぼり拾い読み。
    近代科学的な合理性と対置されるものとして「物語」があり、物語こそが人間の根本に必要とされるものである、と。近代小説のリアリズムに対する傾倒が批判され、一見非現実的な、リアルではないように思われることこそ深層にとっては真実とされている。ユングの「こころの構造」を参照しながら本書を読みましたが、そうすると河合隼雄の考えを形成しているユングの集合的無意識と夢に関する思想をふまえたうえで考えれば、河合隼雄がここで言う「物語」はユングにとっての「夢(を考えること)」と非常に近しいのだとわかります。なんとなくわたしのなかでもやもやとあったものを言語化するのに役立ったが、ひとつ注意しておくべきなのはこれはユングの考えがベースになった議論だということ。ユングが正しいのかフロイトが正しいのかはたまたラカンなのか、という判断はわたしには出来ないので、つまり誰の意見を取るか、誰の意見がわたしの考えに最も近しく寄り添うものなのかを考えなければならない。ということで、河合隼雄(とユング)が物語の意義をどう捉えているかのアウトラインを把握したいま、フロイトとラカンに進まなければならない。学びは終わらないなあ。

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