賢者ナータンと子どもたち

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (331ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784001156508

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  • 1192年、キリスト教徒との死闘の末、聖地エルサレムを手に入れたイスラムの名手サラディンは、捕虜にしたテンプル騎士団のうち、ただひとりの青年騎士の命を助けた。そしてその騎士は、ユダヤの商人ナータンの一人娘を炎の中から救い出す。
    18世紀の名作『賢者ナータン』(レッシング)の戯曲を児童にもわかるようにリメイクした作品。

    一章ごとに登場人物がその人の目から状況を語って物語が進んでいく。
    賢者ナータンはユダヤ人であり、妻と7人の息子をキリスト教徒に殺されている。にもかかわらずキリスト教徒の赤ちゃんを養女(レーハ)にして愛情を注ぐ。
    のちのレーハの言葉にあるように彼は「父は一度も復讐の神のことは口にしませんでした。口にしたのは愛の神のことだけでした」を実行した。

    レーハと同じように出自のわからないままナータンの家におかれた少年に名前を与え、彼を育てるようにとエリヤフに告げる。
    「あの子が読み書きと計算をならうことができるようにしておくれ。もしかして、あの子の運命の流れを少しでも良い方向にむけてやれて、幼い時に身に受けた災いを少しでも小さくしてやれたら、神の御心にかなうかもしれない」
    「誰にでも、この世界に居場所が必要なのだ。自分の属する場所と、避難所になってくれる人間が必要なのだよ。定めなく彷徨いながら生きていくことはできない。そんなことをしていたら、堕落してしまう。もし、ゲシュムにも自分が何者かわからないのなら、そして、もしも、あの子が望むなら、ユダヤ人になることだってできるはずだよ。結局のところ、我々は全員アブラハムの子どもなのだから」
    作者はナータンという人物を用いて、子ども(特に出自がわからない、諸族が不安定な)が、まわりの大人によって平等な機会を与えられるべきだと言っているのだと思う。その小さな施し(?)が希望の光になるから。
    ナータンがゲシュムに名前を与えたことで、彼は人間として再び生まれ変わることができたように。
    つまり、子どもというのは社会で育てるものなのだということ。
    「愛情は血の絆よりもつよいのだよ」

    三つの指輪の話
    サラディンがナータンにした質問「そちは非常に賢いというひょう番だから、余にその答えを教えてくれないだろうか。いってくれ。どの宗教が唯一正しい宗教であるかを。いったい誰が正しいのだ、イスラム京都か、ユダヤ教徒か、キリスト教徒か?」
    「昔々、あるところにひとりの男がおりました。その男ははかりしれない価値をもつ指輪をもっておりました。さまざまに輝くオパールの指輪でしたが、その指輪にはある秘密の力がひそんでいたのです。それは指輪の持ち主を神と人の前に愛されるものとする力でした。その指輪を週有した男は、その指輪を一番愛する息子に残し、その遺書に、おまえも一番愛する息子にこの指輪を渡してほしいと書きました。一番年上ではなく、一番賢いではなく、一番強いでもなく、一番かわいい息子にその指輪を私、その息子を家族の頭にするようにと書きました。~そのようにしてその指輪は最愛の息子から次世代の最愛の息子へと受け継がれ、最後に三人のむs子を持つ男の手に渡りましたが、その父親が三人の息子を同じように可愛がっていました。~父親はいつしか三人の息子にそれぞれ指輪を私約束をしていました。ついに死期が近いことを悟った父親はひそかに金細工師を呼んで、誰が見ても見分けがつかない本物そっくりの指輪を二個注文しました。父親は死にました。三人の息子はそれぞれ自分がもらった指輪を見せ本物の指輪をもっているのは自分だと主張しました。」
    「それが余の問いへの答えだというのか?だが、そちの物語は欠点があるぞ、ユダヤ人。三つの宗教は互いに著しくことなっている。神への奉仕の仕方から、食事の決まりまで」
    「けれでも本質的なところはことなりません。天地を創造した唯一神をしんじることと、神に奉仕するために隣人を愛し、善行をつまねばならないことは、まったく同じです。そのほかのすべて、祈りの文句や、食べてはいけないものの決まりや、伝統的な儀式などは、ただのしきたりに過ぎません。ただの物語に過ぎません」
    「それではそれらの物語のうち、どれが真実なのだ?」
    「どうすればその答えがわかるでしょう、偉大なるスルタン。
    私はユダヤ教徒です。我々の指輪こそが正しい指輪だと言い伝えてきた数多くの父親たちを、私は信じます。あなた様はあなた様の父親たちを信じ、総大司教もまた彼の父親たちを信じています。どうして、私が私の父親たちを、あなたがあたなの父親たちよりも、少なく信じることができるでしょう。あるいはその逆ができるでしょう。もちろん、キリスト教徒にとって も同じことでしょう~息子たちは法廷に立ち、三人ともその指輪は父親から死の直前に神のご加護を願う祝福の言葉とともに直々に手渡されたと誓いました。」
    「それで、判事の裁きは?」
    「あなた方三人とも証人を連れてくることはできなかったし、ひとりの証言は別のふたりの証言に対立している。~どの指輪も他の二つの指輪よりも、そのしょゆウ社をより愛されうるものとしてはいないようだ。それならば、三つの指輪はどれも本物ではないということだろうか~私はあなたがたに裁決ではなく、忠告を与えよう。ものごとをあるがままに受取なさい。それぞれ、自分こそ本物の指輪を持っていると信じるのだ。なぜならば、ひとつのことだけは確かだからだ。つまり、あなたがたの父親があなたがたを愛していたこと、三人を全員同じように愛していたことは確かなのだ
    その愛情に感謝し、各自が指輪が本物であることを証明するように努めなさい。心穏やかに、我慢強く、神様に気に入られる良き仕事に精をだしなさい。~」

    そして、作者ミリヤム・プレスラーはユダヤ人である。
    http://www.mirjampressler.de/
    「私たちにはたくさんの本が、さまざまな種類の本がたくさん必要です。しばしば理解不能に思える世界と私たちの間に立っている壁に、それらの本が小さな覗き穴をあけてくれるからです」

  • 1192年、聖地エルサレムをめぐるイスラム教とキリスト教の争いで勝利したイスラム。一人生き残ったキリスト教・テンプル騎士団の騎士が、火事にあったユダヤの商人ナータンの一人娘レーナを助け出す。名前も告げずに立ち去った騎士に思いを寄せるレーナ。
    この出来事を中心に、それぞれの関係者の立場から二人をめぐるいきさつが語られる。そして、父であるナータンの宗教を超えた深い人間愛が物語の核となる。

    ドイツでは必読書とも言われている古典で、レッシングの戯曲「賢者ナータン」を、現代の子どもでも興味がわくように書き改めたもの。

    エルサレムをめぐる歴史があまり浸透していない日本、宗教と言う概念の希薄な日本人には、興味をひきにくいテーマかもしれない。

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