- Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003100585
作品紹介・あらすじ
渋江抽斎(1805‐58)は弘前の医官で考証学者であった。「武鑑」収集の途上で抽斎の名に遭遇し、心を惹かれた鴎外は、その事跡から交友関係、趣味、性格、家庭生活、子孫、親戚にいたるまでを克明に調べ、生きいきと描きだす。抽斎への熱い思いを淡々と記す鴎外の文章は見事というほかない。鴎外史伝ものの代表作。改版。
感想・レビュー・書評
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東京文京区森鷗外旧居「観潮楼」跡地に森鴎外記念館があります。谷根千と呼ばれる地域です。近隣には、吾輩は猫であるを執筆した夏目漱石旧居跡地があり、猫のオブジェがあります。漱石が住んでいた3年間程は、本当にご近所さんだったのですね。
さて、記念館には、貴重な鴎外遺産もさることながら、大銀杏や三人冗語の石等も保存されています。
数ヶ月前に、記念展に行き、何か一冊と思い、完全未読の渋江抽斎を。小説と言っても、江戸の教養人、渋谷の伝記となります。
森鷗外が「武鑑(江戸期の紳士録)」収集の途中で、抽斎の蔵書印からその存在を知ります。抽斎が弘前の官医で考証学者であり、自分と重なる人生を感じたのでしょうか。ブグログで自分と同じような本が登録されている本棚を見つけた感じ?
執着と思える程の熱量で、抽斎の仕事から交友、家族。亡き後の子孫や親戚の行く末までを克明に書き続けます。
鷗外には興味あるけど抽斎には別段……むむ、読むのに数ヶ月を費やし、今日の鷗外の誕生日に読了とします。
抽斎はどのような人だったか、という印象よりも、
明治維新を挟んだ時代背景や、当時の交通状況や給料、家族の在り方(特に女性)のような社会風景が、抽斎の周囲から見えてくるという史伝そのものなのかと思います。その百十八でふっと終わるのですが、初出はおよそ100年前東京日日新聞。一日一話だったのでしょう。私も一日一話でした。あまり汚れる前に本棚に並べます。 -
最初はじっくり読もうと思ってはいたが、次第に走り読みになり、抽斎が亡くなってからは、もう速読のフェイク動画のような状態だった。難しすぎる。しかし、抽斎の4番目の妻、イオさんだけはすごい人物だったということは分かった。抽斎が暴漢に襲われそうになった時、お風呂に入っていたイオさんは裸に近い状態で飛び出してきて、暴漢にお湯をぶっかけ刀を抜いて立ち向かったって!イオさんの映画観たい!
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退屈で中盤まで読むのに数週間を費やした。後半、抽齋の死から幕末~大正の現在までが糸結ばれるに従って、鮮やかな興奮が起こり、結局二日で読了した。歴史というもの、現在というもの、生というもの死というもの、それらのありのままの重さを感得できる。
前半部はかすかに揺れ動く草むらを見ているようなものであった。後半、突如、その草むらから猛獣が出てきた、おれに向かって突進してきた。
おれにとって遠い過去であり、縁のない人物が、人格性を強く帯び、やがてそれは分裂するかのごとく周囲の人間に及び、ついに幾多の死を超えて現在の生に結びつく。
小説―史実 過去―現在 死―生という対立項が止揚され、読後にはある心地よい重さだけが残る。
この極度に抑制された文体でなくてはならぬ偉業だったろう。
もう一度最初から読みたくなる。今度は草むらに隠れる獣を直視しながら。 -
悠に4.50人を超える登場人物たちの実生活と、繰り返される「生まれた」「沒した」… 人間の営みのリフレインが事実に即して紡がれる。このテクストは、しかしながら、滔々とした単調な時間の流れの模写ではあり得ず、鴎外の思い入れや、そもそもの登場人物の人生の濃淡によって自在に収縮、膨張を繰り返す。そんな時間の起伏の文様に魅了された読書だった。連載自体は「その百十九」で終わっているが、次の日に「その百二十」がふと続いていたっておかしくないような、「その百十九」のぷつんとした終わり方。まさに時間の物語と呼びたい。
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須賀敦子の愛読書と知って読んだ。一読してその面白さにはまり、直ぐに再読した。幕末江戸の直参医師を中心に、今はなき江戸の心情と文化を淡々と描きながら、その美学を蘇らせ、愛惜する。主人公は狂言回しで、その周りの人々が生き生きと描かれる。中でも、後妻の五百が、秀逸。龍馬のお龍さんに匹敵する。鴎外の史伝の筆法を現代に蘇らせたのが須賀敦子だと言える。
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まず漢語を中心とした圧倒的な語彙力に憧れる。伝記としては訥々と事実を述べていて劇的な展開はないが、その分幕末の武家、明治の士族華族の暮らしぶりや考え方がリアルに伝わりとても良かった。つい100年程前なんだなと思うと胸いっぱい。
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鴎外の作品でも特異な作品、柚斎の一生、彼の死後の一族、知古、友人等の多数のメンバーの生涯を細かく綴る。特に、三人目の妻(五百)、保、陸、悠等。医者・考証学者・英語教師等の一族の歴史を通して幕末、維新そして明治の沢山の人々の生活を語る
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学問と仕事、宮仕えの心構え。芯のある夫人。時代を生きる人々。家族のヒストリーを語りながら、文武両道とユーモアと暖かみにあふれ、誠実にして緻密な史料調査を厭わない森鴎外の視線、筆致に触れられ、憧れるような文化水準の高みを気持ちよく感じさせてくれます。
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岩波文庫の表紙によれば「鴎外史伝ものの代表作」なのだそうだが、まず史伝とは何であるのかが今ひとつわからない。歴史小説というのとも少し違う、強いて言えば伝記であろうか。題名のとおり渋江抽斎が主人公というか中心人物であるが、その親族や師弟、交友関係のそのまた親族まで、まさに虱潰しと言うべき執念で記録してある。これを読んでWikipediaみたいだと思うのはマヌケな感想だろうか。
固有名詞の大群に飲み込まれそうになるのだが、じっと耐えながら読んでいると、まさに江戸から明治にかけての大変革期に生きた人々の有様を覗き込んでいる気持ちになくる。
ルネサンス人的ともいえる医者が儒者を兼ねるのが当たり前な様子、嫁入りするのに士族の養女になってからしたり末期養子などのイエ意識、とにかく人が若くして次々亡くなること、放蕩息子に切腹を命じるかどうかで親族が鳩首協議する様などなど、いまとは違う社会の様子が些細とも思える記述の積み重ねから立ち上がってくる。
大丈夫です。私なんか、20年近く少しずつ読んでいますが、未だ1/4も読めていません(^ ^;)。
大丈夫です。私なんか、20年近く少しずつ読んでいますが、未だ1/4も読めていません(^ ^;)。
Kumaさんが、そのペースならちょっと安心しました。( ´∀`)
文章は、平易で読みにくい事はな...
Kumaさんが、そのペースならちょっと安心しました。( ´∀`)
文章は、平易で読みにくい事はないのですが、まあ、読めない。あまりに子孫親戚丁寧に拾い上げるので、この時間があったら、もう何作か小説を書いていただきたかったー。などと、思ってしまいました。
私は、森鷗外の知恵袋が、20年以上読み終わりません。