鷗外追想 (岩波文庫 緑201-4)

著者 :
制作 : 宗像 和重 
  • 岩波書店
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本棚登録 : 42
感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (488ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003120149

作品紹介・あらすじ

近代日本の傑出した文学者で、西洋文化全般を日本に伝えた先導者、さらに軍医総監・政府高官でもあった森鷗外。その風貌に接した友人、後続の文学者、親族、軍人ら、同時代人の回想五十数篇から、厳しさと共に細やかな愛情を持った巨人のさまざまな素顔が現れる。鷗外文学への格好の道標となる一冊。

感想・レビュー・書評

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  •  一般読者にとっては明治、大正を代表する文豪として知られている鷗外であるが、小説、史伝のみならず歌、詩、戯曲、翻訳まで手がけているし、公的には陸軍省医務局長医、帝室博物館長といった高位を極め、そして家庭の人、子供たちの優しいパッパと、幾つもの顔を持つ人であった。
     
     官僚としての仕事を人並み以上にこなしつつ、帰宅してからの時間を文筆や読書に充て、歴史に残る作家活動をし、さらに大勢の来客の対応をする。睡眠時間2〜3時間だったというのだから本当にすごい。

     本書は、それぞれの立場の鷗外に、時間の長短はあれ親しく接した人々から一瞬の邂逅のあった人など様々な人の回想、そして於菟、茉莉、杏奴、類と、みなが父についての文章を残した子どもたちの追憶をまとめたものである。
     多くの追悼、回想の文章から、鷗外の人物像が鮮やかに浮き上がってくる。作家や歌人等文学史に残る人の文章はもちろん、市井の人として鷗外先生に接した人の文章が印象に残った。


     少し違うが、気に止まったこと2点。
     ・旧制中学生だった井伏鱒二が史伝を新聞連載中だった鷗外に手紙を出し(結果的に手紙の内容は、その地方で広まっていた風聞で、事実と異なることが分かった)、それに鷗外がきちんと対応したこと。

     ・鷗外の妻志げは、『青鞜』などの雑誌寄稿をしていたのに、鷗外没後に回想の文章は書かなかったのだろうか。


  • ■一橋大学所在情報(HERMES-catalogへのリンク)
    【書籍】
    https://opac.lib.hit-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/1001206338

  • 鴎外を直接知る家族、友人、文士仲間などの回想記を55篇集めたもの。文学で付き合いのあった人から、医師、後輩たち、親族、職場の同僚など幅広い。
    巻末に著作者紹介が載っているので、とても検索しやすくなっている。

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著者プロフィール

文久2(1862)—大正11(1922)。石見国津和野(現:島根県津和野町)出身。明治14(1881)年東京大学医学部を卒業後軍医となり、17年~21年ドイツに留学。40年、陸軍軍医総監・陸軍医務局長になり、軍医として最高職についた。
大正5(1916)年予備役となり、6年帝室博物館長兼図書頭。公務のかたわら、小説家、評論家、翻訳家として活躍。代表作に『舞姫』(1890)、『うたかたの記』(1890)、翻訳『即興詩人』(1892~1901)、『ヰタ・セクスアリス』(1909)、『雁』 (1911)、『阿部一族』(1913)、『山椒大夫』(1915)、『高瀬舟』(1916)、史伝『渋江抽斎』(1916)などがある。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。

「2023年 『森鷗外⑦ ヰタ・セクスアリス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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