嵐が丘(上) (岩波文庫)

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003223314

作品紹介・あらすじ

作者の故郷イギリス北部ヨークシャー州の荒涼たる自然を背景とした、二つの家族の三代にわたる愛憎の悲劇。主人公ヒースクリフの悪魔的な性格造形が圧倒的な迫力を持つ、ブロンテ姉妹のひとりエミリー(一八一八‐四八)の残した唯一の長篇。新訳。

感想・レビュー・書評

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  • Wuthering Heights(1847年、英)。
    登場人物が見事に病んでいる。ただ、少なくとも虚無的ではない。彼等は力の限り相手を愛し、憎む。泥沼の愛憎劇なのに多くの人を魅了してやまない理由は、このひたむきさにあるのだろう。特筆すべきは、語り手の批評眼の公正さだ。道を踏み外す者にも理由があり、本人だけの責任ではないことを、彼女は熟知している。しかし、最終的に運命は自分で選び取るものであり、苦境を乗り越えて相手を許せる者にしか幸せを掴むことはできないと、物語の結末を通して言外に語る。病的なドラマの背後に、まっとうで強靭な人生観がある。30歳にもならない作者がどうやってこの心境に達したのか、感嘆するばかりだ。

  • 読み返しだというのに相変わらずぎゅんぎゅん読んでしまう。今回はキャサリンという人の捉えどころのなさがおもしろい。彼女には女神みたいなところと因習にとらわれたすごくつまんないところが同居しており、ときには精神年齢3歳なのかな? という万能感で無茶ぶりをする。でも3歳なのにエドガーとヒースクリフとの三角関係のツボをつかんでいるのでふたりから見切られない。

    ふつうの人間は人と人との間の隙間を埋めるために腰をひねったり首をすくめたりするのだけど、キャサリンは大の字に寝っ転がって「このままのわたしを愛して!」と吠えているわけで、すごい3歳である。怒ると村を踏み潰すような女神がいるかは知らないが、そういう神様も3歳なのだろう。そういう3歳性に、ひとは惹きつけられひれ伏してしまうのではないか。

  • 閉鎖的な世界で混ざり合う愛と憎しみ。
    終始暗雲たる雰囲気が立ち込めている。
    アーンショー家はどうしてこうも皆狂っているのか、、、。

  • もう20年以上も前、大学1年のとき「英文学講読」という授業でこの作品にふれた。授業でふれられた原文は全体のほんの一部で、あとは邦訳で「読んだつもり」という体たらくだったけど。。。

    ごく最近になって、全くひょんなきっかけでこの作品をもう一度読んでみようかという気になった。どうやら21世紀になって、3種類の「新訳」が出ているらしい。その中で上下巻分冊でない(要するに一番安価な)新潮文庫版を買って読み始めたのだが、どうも読んでいてクラクラする。言っちゃなんだが、下品で行儀の悪い表現が多く、代名詞の指すものが不明瞭なのだ。

    amazonでは光文社文庫版が好評のようだったので立ち読みしたところ、新潮とあまり違いを感じず。そしてこの岩波も立ち読みしたら、すんなりすらすら読める。この時点で改めて上下巻ゲットし、漸く読了。いやぁそれにしても気づいたら随分熱心に入れ込んでいたもんだ(笑)

    内容的には、この歳になって改めて感じるものがいくつもある。ほんの一例だが「墓を暴く」という行為の意味なんぞ、ハタチ前の青二才にはピンとこなかったけど、今なら身震いをもって感じ取れる。他にもシンメトリーの妙とか、怨念とか、切り口は豊富。いつでも読めるし、読んだその時々で様々な感想を抱ける作品だ。

    新訳の出来・不出来は、おそらく橋本治がかつて『桃尻語訳・枕草子』で言っていた「直訳で分かりづらいのは清少納言の表現力の問題!」に通じるもののような気がする。要するに、岩波の新訳はその辺を親切に訳し直してくれている。ストーリーをつかむには岩波が最適かも。

  • ヒースクリフ!なんと狂気に満ちた人物造形。キャサリンを思う気持ちだけが純粋。
    不穏な空気が空中に立ちこめている。召使いが語るという手法もはまっている。

  • 全二冊。必読。小説はこうでなくっちゃというかんじ。爽やかさに欠ける、癖だらけの登場人物たちを一人残らず好きになってしまう。作者ブロンテが生涯故郷を出なかったという事実が興味深い。

  • とことん重苦しいし狂気すら感じる。所々ホラーかってくらい怖いし。人間てここまで心すさんじゃうのかと思うと人間そのものについて凹みそうになる。文章自体は読みやすいけど、なんかもうねぇ‥うん(´ω`;)
    --
    アンナカレーニナのレビューつながり。読み応えあるって聞いて。

  • 読み進めるほどに先が気になる名作でした。( ̄ー ̄)

    ☆詳しいレビューは<a href="http://ihuru.blog46.fc2.com/blog-entry-862.html" target="_blank" title="コチラ">コチラ</a>

  • 三代にわたる三角関係の話

    育った環境によるのか、
    元々の人格が環境によって育てられたのか、
    登場人物たちの個性が強く、語り手の印象は薄い

    子供が虐待されるのはきつい

  • ○【嵐の中を切り抜け得る「教養」と「精神力」
    を持ち合わせることの大切さ】
    ○【復讐のエネルギーで破滅に向かうより、
      自分の幸せのためにエネルギーを使おう!】
    ○【正しい行いを!収まるべきところに収まる】               

    愛憎劇の背景に、当時の社会状況も垣間見る。

    「"復讐すること"のみを支えにして」生きる。
    そんな負のエネルギーのために、自分の精神、肉体を破滅に向かわせたくない。

    「教養」は、変えられない現状(この場合は出自、階級社会など)を脱却するための武器。
    自分を幸せに導くことにこそ、エネルギーを使って欲しかった。 
    「本当の幸せ」とは何か?に"気づく力" もまた、「教養」があってこそのことだろう。

    *復讐劇ではないが、
    「高慢と偏見」/オースティン著 の方が圧倒的に好き!!(やはり、イギリスの貴族+邸宅+恋愛×人間の内面) 希望がある。
    ----------------------------------------------

    孤児として貰われてきたヒースクリフ。肌の色も違い、屋敷の人からの差別を受けて育つ。
    ヒースクリフは、本を読もうとすれば取り上げられ馬鹿にされるなど、「教養」を身に付ける学びの機会を失い、どんどん捻じ曲がった人間になっていく。

    気が合ったキャサリンと過ごす時間は、彼にとっての唯一の「救い」。

    結局、彼が本当に欲しかったものは、「復讐」で得られるものではなかった。

    結末の感想としては、
    【やっぱり神様は行いを見ているんだよ!収まるべきところに収まるんだよ!】

    "悪い人たちを罰するのは神様の役目だよ。
    私たち人間は許すことを覚えなくちゃ"
    (キャサリンの言葉より)

  • 18世紀イギリス片田舎のドロドロ愛憎劇。愛は独善的で人間関係は閉鎖的で、カップルとなりうる男女の組み合わせが循環しており純粋に恐いなと思う。そこが面白い。親世代のそれぞれの復讐心混じりの愛が目指していた、または目指せれば生前から安らぎを得られていた価値観が、下巻18章ラストでネリーが指した、19世紀に生きる若者二人の姿だったのかなという印象。主人公ヒースクリフが清々しいほどのヒール振りを発揮してくれていて、あくまで小説だからという前提の下、小気味よく感じられた。彼が心の恋人キャシーへの熱情を語るいくつかの場面は、作中屈指の暗い輝きを放っていて読み応えがある。

  • 騒がしい世間から隔絶したところ、人間嫌いにとって、まさに天国のような土地…
    そこで会ったヒースクロスの恐ろしく激しい愛に慄き始めた、、、

  • 【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/

  • 嵐が丘の住人、ヒースクリフの復讐劇を家政婦ネリーの口から主人公が聞くという構成。

  • 3.76/935
    『ブロンテ3姉妹は,イギリス北部ヨークシャーの一寒村に牧師の娘として生れ育った.本書はその一人エミリー(1818―48)が残した唯一の長篇小説で,ヒースの茂る荒涼たる自然を背景とした,二つの家族の3代にわたる愛憎の悲劇.浮浪児であった主人公ヒースクリフの悪魔的な性格造形が圧倒的な迫力を持つ.新訳.(全2冊)』(「岩波書店」サイトより▽)」
    https://www.iwanami.co.jp/book/b247301.html

    冒頭
    『一八〇一年――家主をたずねて、いま戻ったところだ。厄介な近所づきあいもあそこだけですむ。実にすばらしい土地だ。騒がしい世間からこれほど隔絶したところは、イギリスじゅうさがしても、おそらく見つかるまい。人間嫌いにとっては、まさに天国のようだ。そしてこの寂しさを分かち合うのに、ヒースクリフ氏とぼくはちょうど似合いの相手である。』

    原書名:『Wuthering Heights』
    著者:エミリー・ブロンテ (Emily Brontë)
    訳者:河島 弘美
    出版社 ‏: ‎岩波書店
    文庫 ‏: ‎313ページ(上巻)

    メモ:
    ・『世界の十大小説』サマセット・モーム
    ・松岡正剛の千夜千冊 125夜
    ・英語で書かれた小説ベスト100(The Guardian)「the 100 best novels written in english」
    ・世界文学ベスト100冊(Norwegian Book Clubs)
    ・死ぬまでに読むべき小説1000冊(The Guardian)「Guardian's 1000 novels everyone must read」
    ・西洋文学この百冊

  • 有名な小説なので、以前読んだと思っていたのは抄訳だったのかもしれない。ロックウッドが手伝のディーンからヒースクリフに関係する人々の話しを聞く、というスタイルの小説である。抄訳では、ロックウッドがディーンから話しを聞くスタイルが割愛され、ヒースクリフだけの話になっていたと思う。イギリスの屋敷についての何の知識がない人でも、翻訳ではわかり易いが、英語で読むのは難しいと思う。

  •  19cイギリスヴィクトリア朝の小説。
     作者は有名作家三姉妹の次女、エミリー・ブロンテ。ヴィクトリア朝の小説は、栄華を極めたように見えるヴィクトリア朝期イギリスの水面下の社会問題に気付かせるためのものが多い。
     この小説の特徴は、初期の心理小説、情熱の小説(ヒースクリフとキャシーの関係)、ヨークシャーの田舎の荒涼とした丘陵地帯という舞台設定、一人称の語りである。他にも18cイギリスで流行った、恐怖による感情の揺さぶりを目指した「ゴシック小説」的要素を持つ。ゴシック要素に関しては下巻のレビューで触れたい。
     この作品の簡単な説明としては、スラッシュクロス屋敷と嵐が丘という屋敷に住むリントン家、アーンショー家の2家族の2世代と邪悪な心を持つ男ヒースクリフの、復讐と愛憎の物語である。
     作品の始まりは、スラッシュクロス屋敷を借りるために嵐が丘の屋敷にロックウッドという男が立ち寄り、彼が寝るときに嵐が丘に住む人たちの複雑な関係性について使用人のネリーが昔話を語って聞かせるというものである。なぜ嵐が丘の人々の関係性がそのように複雑になったのかが昔話により紐解かれていく面白さを感じた。
    物語の流れとして、昔話と現在の話という時間軸の前後も特徴となっている。
     この小説の舞台設定は、ヨークシャーの田舎の荒涼とした丘陵地帯である。ヒースクリフとキャシーはとても気性が荒い。さらに2人はお互いと自分のことしか見えていないため、他の人を寄せ付けない。これらは丘陵地帯の悪天候の激しさ、荒々しさと重ね合わせられている。更にはこの小説の流れを見たとき、ヒースクリフが2家族に影響を与えたり人が亡くなったりする悪い時期と、そうでない平和な時期の繰り返しとなっている。これらは突然入れ替わったりする。これも山の天気の変化のしやすさが重ね合わせられているのかなと想像した。
     この小説の語り手は、ロックウッド、使用人のネリーとジラの3人である。ロックウッドは比較的中庸的な視点の傾向があり、ネリーとジラは、一人称の語りらしく、彼女らの主観交じりの視点で語る。一人称の小説では、語り手が与える人物や事柄への印象に関して、語り手の主観が入っていると考えて読むのが肝要である。次読むときは、彼らが自分の想像で結論付けた様々な人物の心情をもっと想像しながら読みたい。
     上巻では主にヒースクリフとキャシーの関係について書かれている。彼らの愛情や関係性について考えるのは楽しかったが、話の展開としては下巻のほうが動くので、むずむずする、先の展開が気になるといった感想を抱いた。

  • 私のコンディションなのか、
    登場人物たちの愛憎に全然乗れなくてややツラいw

    キャサリンとヒースクリフ、
    理由はなくともわたしはあなたであなたがわたし、
    互いが互いの片われであると感じる、理屈抜きに。
    と思いながらも。

    終盤のイザベラに対してのヒースクリフの強烈な描写。
    人でなし!w
    ネリーの
    「私がイザベラお嬢様の立場なら、せめて暖炉の周りは掃き、
    テーブルを吹くくらいはしたでしょう」
    に何か真理を見る思い。
    ジブリ方式や…!こういう状況だと、
    窓を開け放して新鮮な空気を入れ、清掃する女性でいるかいないかで
    違うんだろうな…!と自堕落に染まりそうな自分を省みて。

  • 2018年02月11日に紹介されました!

  • 昔ながらの名作は読みにくいものが多いけど、その中ではすらすら読み進められた。キャサリンとヒースクリフの恋愛物語とおもいきや、最終的にはそういうわけでもないらしい。

  • 現在(上)の半分ぐらい。何度も途中で挫折した本書、今回こそ読み終われるか?! キャラクターや土地の名前が楽しい。

    その後、(上)読了!
    イメージしていた「嵐が丘」(ロミオとジュリエットのような壮大ラブロマンス)とは大分違ってもっと皮肉でドライな感じがするが、それでも面白い。
    主人公を含めて、登場人物全員が性格に難ありなのも、意外。

    それぞれの人物の行動は、どうしてそうするのか?と思ってしまうものが多い(時代が違うからかも知れない)が、重要シーンで繰り出されるキャサリンやヒースクリフの台詞は、非常に真実をついているようで、胸を打たれるものがある。

  • ネリーの語りまでが長い。
    登場人物がとらえにくい。
    皆狂っていて、嵐が丘にとりつかれている。心を尽くしても贅をつくしても
    満たされない寒々しさが苦しい。

  • 読む前の嵐が丘のイメージは一般的なロマンス小説だったが、Picaresqueな要素がふんだんに盛り込まれており、その長さにもかかわらずあっという間に読めた。特にヒースクリフのキャシーに対する長年の愛憎はフィッツジェラルドのグレートギャツビーを彷彿させる。

  • この強烈な物語をもっと早く読むべきだった。新訳で読みやすくなっていることもあり、まさにページを繰るのがもどかしいと思いつつ、一気にラストを迎えました。

  • 十年以上ぶりに読み返した名作。
    印象度としては初めて読んだときの方が強烈だったかな、とは思いますが、ぐいぐい引き込まれてあっという間に読んでしまいました。簡潔な表現なのに、人物の感情描写がずはずば!と心の中に切り込んでくる感じはさすが。

    キャサリンが、自分の選択について「魂と心では思うのよ、私は絶対にまちがっているって」と言う下りがありますが(160ページ)、こういう直感を絶対に無視しちゃいけないんだよな、と、この歳になってつくづく思います。
    「この選択は間違いだ」と魂がはっきり言ってくれる場合は勿論、「なにかおかしい、引っかかる」というレベルでも、そのシグナルを無視しては駄目。とくに人生を左右する選択で魂の声を無視してはいけないのですよね。

    ただ…キャサリンが魂の声に従っていたら、幸せになれたのかというと、あまり幸せな想像ができないのですが(^^;)

  • 2015.10.6作者の故郷イギリス北部ヨークシャー州の荒涼たる自然を背景とした、二つの家族の三代にわたる愛憎の悲劇。主人公ヒースクリフの悪魔的な性格造形が圧倒的な迫力を持つ、ブロンテ姉妹のひとりエミリー(1818‐49)の残した唯一の長篇。新訳。(紹介文引用)

    氷点という小説の下巻、千島から松という章に、主人公の陽子がこの「嵐が丘」という小説を読んでいるくだりがある。氷点を読み終えた後、ふと図書館で嵐が丘を見かけ、読んでいる。圧倒的な禍々しい愛を感じる作品である。アーンショー家の退廃ぶりは、カラマーゾフの兄弟のフョードル家を彷彿させる。ヒースクリフはその生まれと育ちにより、世界から一切の光を受けることなく育った。しかしその暗黒の人生におけるただ一点の光が、キャサリンだったのだろう。故に、キャサリン周辺の人々を憎み、まるで世界そのものを憎み、そしてその内側に残るすべての愛を、キャサリンに注いでいるような気がする。極端なほどの憎しみと、極端なほどの愛を抱えた主人公だなーと。キャサリンもまた中々に気性の荒い人で、、、魅力的な登場人物てのはどうもこう破滅的な人格を備えているよね。愛について、キャサリンのエドガーへの想いとヒースクリフへの想いをディーンに告白しているシーンで、女の人の愛には別腹があるのかな、なんて思ったりした。生きるためにとる食事とは別に、好きだからという理由でケーキを食べるあの感じで、生活のために選ぶ愛の選択と、まさに愛のために選ぶ愛の選択とを、並行して取れるのが女性なのかな。まぁ人にもよるだろうけど、そういう愛の在り方もあるんだなーと。地獄に垂れ下がる一本の救いの縄を掴むように、溺れている時に藁を掴むように、砂漠の渇きの中で喉を潤すために自分の血を飲むかのように、そんな激情的な、狂気的な愛を感じる。氷点で陽子は、彼をかけがえのない存在を持つ人だといい、彼のような真剣な恋愛がしたいと言っていたが、その一途さはまだしも、それ故に他へ対する排他的破壊的なこの言動はなぁ。世界への憎しみなしに、この愛は成り立たないのかもしれない。かけがえのない存在を持つということは、他はかけがえあるものとして、捨てられることを言うのかも。すべても捨ててでも手に入れたいもの。このひとつさえ手に入れば他は何もいらない、またはこのひとつ以外に欲しいものなどない、そんな極端な願望が、かけがえのない存在を得る道なのかもしれない。あれも大事これも捨てがたいとかいう人には、かけがえのない存在は手に入れられないのかもしれない。人間は自分の存在を様々な関係性の中に、少しずつ組み込んでいる。私とは、あらゆるものとの関係性の起点の総体である。兄としての私、息子のしての私、友達としての私、恋人としての私、というように。私を中心に広がっていく関係性、その中心が私であり、その関係性の先の総体が世界である。私と繋がっている、親、兄弟、友達、仕事仲間、人以外も含め諸々。ならばこの関係性がひとつなら?例えるなら生まれたばかりの赤ちゃんにとっての母親のように。人間は成長するにつれ母親以外との関係性を築くものだ。それが阻害されたら?その関係性を、憎しみという積極的な阻害力で壊していたら?そして唯一残った関係性が、彼女への愛だったら?お前は俺であり、お前は世界だ、ということになるだろう。おやすみプンプンにも同じような描写があったような気がする。真の孤独の闇から生まれた、極端で破滅的な、凶々しい愛の物語。下巻も読み進めたい。

  • 恥ずかしながら、初めて最後まで読むことができた。
    どろどろの愛憎劇。
    でも気になって読んでしまう。続きが気になる。

  • 下巻にまとめています。

  • サマセット・モームが"世界の十大小説"の中で名を挙げている、エミリー・ブロンテが1847年に発表した唯一の長編小説。個人的には1939年のローレンス・オリヴィエ主演のものが好きですが、何度も映像化されています。今までにも原作に何度かチャンレジしたのですが、いつも挫折してました。ということで、念願の原作読破に成功しました。なぜ、今まで読み終われなかったのかわからないくらいに、今回はスラスラと読めました。大人になったということですかね?

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