- Amazon.co.jp ・本 (372ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003262719
感想・レビュー・書評
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■「イゼルギリ婆さん」
イゼルギリ婆さんが三つのお話を物語る。
①鷹とヒトの間に生まれたラルラは傲岸不遜な若者。人々がなすすべもなく見守るなか長老の美しい娘を残酷に踏み殺し、恬として反省する気配もない。そんなラルラに天上から罰が下される。ラルラはこの先いかに人生に倦んだとしても、いく度悲痛な別れを経験しようとも、罪に汚れたその重たい体を背負ったまま、永遠に死ぬことを許されない存在になってしまったのだ! 暮れつ方、地平線を進む黒い影は雲の端切れではない。「ほれ、ご覧なよ、あそこにラルラが歩いていく!」
②イゼルギリ婆さん若い頃の凄まじいまでの恋の遍歴。激しくも短い恋、愛し合った男たちの死、初めて自分の老いを感じとったあの日……。「そうして、わしだけがこうして生きているのだよ! ひとりぼっちでな、……いや、いや、ひとりぼっちじゃない、あの人たちといっしょにな。」
③一族を救うため死の森を走破し、民衆を導いて脱出させようとするダンコ。しかし身勝手な人々は、状況がすぐには改善しないのをダンコひとりのせいにしてダンコを責め立てる。文句ばかりで手足を動かさない暗愚な民衆に業を煮やしたダンコは自分の心臓を自分で掴み出し、それを掲げて暗黒の森を照らして、なおも人々を率いて前進する。
「……老婆がこの美しい物語を語りおわったときには、荒野は気味の悪いほど静まり返っていた。なんだか荒野までが、人々のために自分の心臓を燃やしてしまい、しかもそれにたいして何の報いも求めずに死んでいった、あの勇士ダンコの心の気高さにすっかり打たれてしまったかのようだ。老婆はうとうとと眠りにおちていった。私はその姿をながめ、このお婆さんの頭のなかにはまだどれほどの物語や思い出がのこっていることだろうかと思ってみた。それからまた私は、あの燃えさかるダンコの偉大な心臓のことや、こんなにも美しい、力づよい伝説をうみだした人間の想像力というものについて考えてみた。」
■「チェルカッシ」
チェルカッシは名うての泥棒。臨機応変に大胆に抜け目なく立ち回ってはいつのまにか大金をモノにしている。なんら羈絆をもたず、足の向くまま世間を渡り歩く自由人だ。 ………しかしチェルカッシにはかつて優しい母がいた。自分を自慢する父も。ふるさとがあった。快活な妻までも。「彼はそのような世界からは、すっかり切りはなされ、放り出されてしまって、いまはまったく孤独の身」となった。つまりその正体は、稼いだ大金を捧げる家族もいない、たんなる浮浪人にすぎないのだ。
■「秋の一夜」
「私はそのころは、本気になって人類の運命というものに心をいため、社会制度の改革や、政治的な変革を夢み、・・・なんとかして自分を『偉大な積極的な一つの力』に仕立てようと努めていたのであった。ところが、いまこの淫売婦は自分の身体でもって私をあたためてくれているのである。彼女は、この世のなかには生きる場所もなく、またなんの価値も認められていない、虐げられ、追いたてられている、不仕合せな一個の生物にすぎないのだ。しかも私は、彼女の方から私を助けてくれるよりさきに、私の方から彼女を助けてやろうなぞという考えが、てんでおきなかったのだ。」
■「二十六人の男と一人の少女」
二十六人の囚人たちがあがめたてまつる美少女が、兵隊上がりの伊達男によって手折られる。
(ここでゴーリキーは、病気でさえも生きがいとなると書いている。「その病気よりほかには、彼の取柄といっては何もないわけだ。その人たちからその病気をとりさってしまい、その病気をなおしてしまったら、その人たちはかえって不幸になるであろう」と。)
■「零落者の群れ」
退役軍人クヴァルダの営む木賃宿に、今日もおなじみの零落者たちがとぐろを巻いている。身なりはルンペンそのものだが、こいつら意外とバイタリティーがあって、ウォトカはがぶがぶ飲むし、議論は激しく闘わすし、機に臨んでは策をめぐらし、………しかしおまえたち、その分なぜまともに働かない……?詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
イゼルギリ婆さん
チェルカッシ
秋の一夜
二十六人の男と一人の少女
鷹の歌
海つばめの歌
零落者の群 -
どれも好きだが、特に二十六人・・と零落者・・が素晴らしい
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貧しくて暗くて寒い。底辺にいる人々が生きていく様はどれも懸命です。
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不条理さに軽く衝撃を受けるものが何点か。なのに決していやらしくないのは、作家自身の淡々とした描き方ゆえだろうか。