- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003275016
感想・レビュー・書評
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だめ夫の話ではない。だめ妻の話。
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おもしろすぎる。
入り込んでしまい、2時間弱で読破。
最後の20ページは心が
震えたいうか、
とてつもない感情が自分の中に生まれて、
チクチク痛かった。
男性主体社会では夫婦関係は「愛」にならず、
それは「保護者」と「人形」になってしまう。
その要因は簡単なもので、
自分の実存確認、内省を行わないことになる。
というか、従属できて、それで生活できてしまうんだから必要がなくなる。
結果、相手からの影響は感化ではなく洗脳になってしまう。
うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
社会とかシステムって人間を壊すよね。まさしく。
「法律は動機のいかんを問わんものです」
「若いうちに堕落する人間は、まずたいてい、その母親が嘘つきだ」
「けれどもね、心から愛する人と、会って話するのが好きな人とありますわ」
「あけすけに話をする必要があります。ごまかしや上塗りでは、とてもとてもあの上やってゆけるものではありません」
「あなた方はわたしを愛していらっしゃったのではありません。わたしを夢中に甘やかしているのが、いい楽しみだったのです」
「パパはわたしを自分の人形と呼びました。そうしてわたしと遊びました。ちょうどわたしが自分の人形をおもちゃにするような風に。」
「わたしはあなたの前で芸当をして生きておりました。しかもあなたはそれをお好みでしたわね。あなたとパパと、お二人とも、私に対してふかい罪をおつくりになった。あなた方のお陰で、わたしはこんなからっぽの女になりました」
「わたしには子供を教育する勤めを果たすだけの力がございません。その以前にわたしが果たさなければならない、ほかの勤めがあります。わたしはまず自分を教育しなくてはなりません。しかも、あなたはそれを助けてくださるお人ではございません。わたしは独力でいたさなくてはなりません」
「今となっては、世間の言うことだの本に書いてあることだのは、わたし標準とはいたしません」
「私が正しいか、社会が正しいか、窮めなくてはなりません」
「あなたの心配の一滴でもいいから飲ませてほしいのです。でもそれをおねがいすると、あなたはいつも軽い冗談にしてしりぞけておしまいになりました。あなたはわたしをちょうど人形のように教育なさいました。あなたは子供を相手にして遊ぶように、わたしを相手にお遊びになりました。わたしは苦しみを担うことができたらどんなに嬉しかったでしょう。私は嵐のように吹きすさんで高めてくれるものを、心からあこがれていました」
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後で書きます。
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自分をよく耕すことが自分に対する一番大きな義務だということ。
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感謝の印も残らない。と医者が言ったのが印象的です。残るのは空席だけで、それはあとから来る他人のものになってしまうんだ。と。
それでもトロルと戦って死んでいく。 -
ゼミの課題書。
南の方(イタリア)へ旅行しないと助からない病とは…?こんなところに疑問が湧いてしまった…。。
何よりもまず自分自身の正体を確かめることの重要性をシンプルに語った本。 -
10年ぶり。同窓会で久々に逢う知人は、
それぞれ、様々な人生を送っています。
結婚/離婚、出産/死別。
良いことも悪いことも人それぞれです。
最近、
「離婚した」、もしくは
「離婚しそう」、といった人が、
何人か周りにいます。
どんな理由でそう至るのか、
当事者同士の中で、それぞれ言い分があるのでしょう。
イプセンは、結婚についてこう言っています。
●「結婚とは―諸君が諸君の全精神を注ぎ込まねばならぬことである」
この「人形の家」は、
女性の自覚と解放を取り上げています。
幸せな家庭も、円滑な夫婦仲も、
妻が自己を犠牲にすることで、
成り立っていることもあるようです。
結婚して、妻を掌で扱っていませんか?
そんな気がなくとも、
過剰な気遣いがそんな状況を生みだしていることもあります。
この本を読み、互いの関係を俯瞰してみましょう。 -
女性の社会進出がどうのとか興味が無いけど、これは普通に読めた。
変にフェミニズムを意識していないところがいい。 -
劇の台本のようなかたちで、セリフが書き連ねられ、場面も居間から動かず、淡々と進む物語。私は、女性がこのように男性の都合よく家庭に縛り付けられ、その支配の下で人形のような扱いをうける差別的社会の様子が、あまり実感として得られずに生きているが、それとは別に、この作品から、性の別に関らず自分の足で生きていくことの力強さと孤独とを感じ、またその中で精神が卑屈にも自由にも、また優しくも汚くもなりうることを感じた。また、こんなに互いに疑い合いながら生きて、信頼も裏切りへと簡単に覆ってしまうのでは、心が常に殺伐としているのだろうな、と思い、同時に私自身の生きている世界の狭さを感じた。