- Amazon.co.jp ・本 (194ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003313213
感想・レビュー・書評
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為替の影響でインバウンド需要が再び戻り、街には外国人が溢れている。高級店はまるで外国人のために値付けされ存在するようだ。一方で日本人は度重なる値上げに賃上げが追い付かず、格安店を賑わす。コロナ禍が終息し、活気を取り戻したが、金持ち外人と格安国民のこの構図は辛い。やがてくるトリクルダウンまでの我慢なのか、ネットで「岸田」と打てば「増税」の予測検索。社会政策の有効性が問われる。
貧乏物語は、物語というくらいだから、小説だと思っていた。大正時代の経済学本だという。中身は、貧乏を生みだす社会的構造に対し、奢侈を廃止し社会政策を講ぜよ、というもの。投資は利益重視で行われるから、儲かるものに傾斜されるが、それは金持ちの嗜好を優先するため、貧乏に行き渡らない。政策介入が必要だと。この古典を引いて経済学的見解の誤りを正せと試験に出れば、私なら、多数派な貧困相手のビジネスが成立し得る事を反証にするだろうか。高級店と格安店が、格差を見事に写像する。多数派の貧困もまた、儲けのネタになり得たのである。
ー道具の発明によって禽獣の域を脱しえた人間が、機械の発明された今日、なお貧苦困窮より脱せぬと言うのは不思議なこと。ものを作り出す力は非常に増えたが、その力が抑えられて十分に働いていない。分配の仕方が悪いのではない。十分に生産されていないのである。需要があるものに限り生産すると言う前提が問題である。金のない乞食がほしがったとてそれは重要に換算されない。
ー貧乏根絶のためには、人の心の改造が根本的に必要。心がけを変えれば、社会組織は今のままでも問題はすぐにでも解決してしまうと言う。その心がけとは、各人が無用の選択を止めると言う事だけ。奢侈品を優先生産しない事。
VIP価格があるから、庶民が安くサービスを得られる論者で有名な西野亮廣が怒りそうだ。どうでも良いが。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2階集密 : 331.6/KAW : https://opac.lib.kagawa-u.ac.jp/opac/search?barcode=3410168230
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貧しさとは。心に響きますね、大正時代であっても。
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いかに多数の人が貧乏しているか(上編)
何ゆえに多数の人が貧乏しているか(中編)
いかにして貧乏を根治しうべきか(下編)
著者:河上肇(1879-1946、岩国市、経済学)
解題:大内兵衛(1888-1980、南あわじ市、経済学) -
【メモ】
・貧困研究(日本における)の古典。1917年に刊行された。岩波文庫へ1947年(65年に改版)に収録された。
・宇沢弘文もこの本を読んで経済学をこころざしたらしい。[出典:宇沢著作集 第1巻 冒頭]
・原文だけなら青空文庫で読める。
<http://www.aozora.gr.jp/cards/000250/card18353.html>
【書誌情報(国会図書館HPから抜粋)+内容紹介】
タイトル: 貧乏物語
著者: 河上 肇
シリーズ名: 岩波文庫
出版地(国名コード): JP
出版地: 東京
出版社: 岩波書店
出版年: 1947
大きさ、容量等: 191p ; 15cm
出版年月日等: 1947
当該情報資源を採取・保存した日: 2014-04-07
件名: 経済学‖社会主義
NDC(9版): 331.6 : 経済学.経済思想
NDC(8版): 331.6
戦時景気に酔う第一次世界大戦下の日本で、社会問題化しはじめた「貧乏」の問題を直視した河上肇(1879‐1946)は、なぜ多数の人が貧乏しているのか、そしていかにして貧乏を根治しうるかを古今東西の典籍を縦横に駆使しながら精魂こめて説く。富者の奢侈廃止こそ貧乏退治の第一策であると。大正5年9‐12月『大阪朝日新聞』に連載、大きな衝撃を与えた書。
【簡易目次】
いかに多数の人が貧乏しているか
何ゆえに多数の人が貧乏しているか
いかにして貧乏を根治しうべきか
解題(大内兵衛) -
「貧乏」問題を、経済学の知見や古今東西の典籍に基づいて検討するもの。富裕層の奢侈を廃止することが貧乏対策になると説いています。なにしろ大正5年の古典なので、その理論的妥当性は別途の検討に委ねるとして、早くもこの時代から格差問題に理論的に取り組もうとしていた点に感銘を受けました。
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現代と時代背景が異なるので少し想像しづらいが、これは物不足の時代における「貧乏物語」。大正以降の資本主義経済が生み出した社会的矛盾の原因と対策を述べる。
限りある資源が富裕層の奢侈の為に費やされる。ゆえに貧困層に生活必需品が行き渡らない。そして貧困の追放のために資源は一般民衆の為に大量生産され、安価に供給されるべき。という持論が展開される。
社会的な階級の差を現前化させて経済を語ることは、大正デモクラシー期に於いては社会主義や共産主義の活動に援用されたのだろう。しかしその後の日本にとっては国家社会主義や皇国思想、軍国主義を支えるひとつの柱ではなかっただろうか。 -
『ぼくらの頭脳の鍛え方』
文庫&新書百冊(佐藤優選)165
国家・政治・社会 -
#booklog 貧困を経済学からアプローチした、と見せかけてその実「富者の奢侈贅沢の廃止こそが貧困の連鎖を断ち切るんだ」教という宗教。著作当時はともかく、現代に生きる私にとっては特に学ぼうと思えるところのない、読んで後悔なアカい一冊。ただし、河上の、ボディ・マインド・スピリットの三つをのばせるだけのばすのに必要な物資を得てない者はみんな貧乏人という考えは、救いのあるユーモアとして心に残った。本人はユーモアのつもりで書いてないだろうけど。